トップQs
タイムライン
チャット
視点
ヨスラン・エレラ
キューバの野球選手 (1981-) ウィキペディアから
Remove ads
ヨスラン・エレラ・ベタンクール(Yoslan Herrera Betancourt, 1981年4月28日 - )は、キューバのピナール・デル・リオ州ピナール・デル・リオ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
Remove ads
経歴
要約
視点
キューバ時代
1981年4月27日にキューバのピナール・デル・リオで生まれた。
プロ入りとマイナー時代とパイレーツ時代
2006年12月18日にピッツバーグ・パイレーツとメジャー契約を結んだ。
2007年は開幕を、傘下AAのアルトゥーナ・カーブで迎えた。この年は、25試合に先発登板し、6勝9敗、防御率4.69、70奪三振を記録した[2]。また、シーズン中に40人枠に登録された。
2008年は、メジャーのスプリングトレーニングでプレーした。しかし、開幕を前年同様に傘下AAのアルトゥーナ・カーブで迎えた。ここでは、21試合に先発登板し、6勝9敗、防御率3.96、69奪三振を記録した[2]。6月27日に、傘下AAAのインディアナポリス・インディアンズに昇格した。6月29日に、傘下AAに降格した。7月12日にメジャーに昇格し、同日のセントルイス・カージナルス戦でメジャーデビューを果たした。7月24日のサンディエゴ・パドレス戦で、メジャー初勝利を記録した[3]。8月4日に、傘下AAに降格した。
2009年は開幕を、前年同様に傘下AAのアルトゥーナ・カーブで迎えた。ここでは、23試合(15試合で先発)登板し、11勝1敗、防御率3.23、65奪三振を記録した[2]。その後、傘下AAAのインディアナポリス・インディアンスズに昇格した。ここでは、4試合(2試合で先発)登板し、1勝1敗、防御率2.30、7奪三振を記録した[2]。11月に解雇された[4]。
ツインズ傘下時代
2010年3月2日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ。開幕を傘下AAAのロチェスター・レッドウイングスで迎えた。ここでは、6試合に先発登板し、0勝3敗、防御率6.08、14奪三振を記録した[2]。5月10日に本人の申し入れで退団した[5]。
アメリカ・独立リーグ時代
2013年は、アトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズと契約を結んだ。この年は、59試合に登板し、2勝1敗11セーブ、防御率3.74、54奪三振を記録した[2]。
エンゼルス時代
2013年12月にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約を結んだ。
2014年は、6年ぶりにメジャーで登板を果たした。この年は、メジャーでは、20試合に登板し、1勝1敗、防御率2.70、13奪三振を記録している。マイナーでは、傘下AAAのソルトレイク・ビーズで41試合に登板し、4勝4敗5セーブ、防御率2.52、47奪三振を記録している[2]。
DeNA時代
1月19日に、NPBの横浜DeNAベイスターズが、エレラと1年契約を結んだことを発表した[6]。推定年俸は3,000万円で、背番号は53[7]。登録名はエレラで、リリーフでの起用を想定した契約であった。
3月27日に、読売ジャイアンツとの一軍開幕戦(東京ドーム)8回裏に来日初登板。4月までの一軍公式戦では、12試合の登板で防御率が7.59にまで達していた。しかし、5月以降は主にセットアッパーとして成績が安定。公式戦全体では、52試合の登板で、5勝4敗ながら27ホールドポイント、奪三振率9.23という好成績を記録した。通算防御率は2.96で、27試合に登板したビジターゲームでは5.11であったのに対して、25試合に登板した本拠地・横浜スタジアムのホームゲームでは1.00にとどめていた。
夏場から右肩の後部に炎症が繰り返し生じたため、9月中旬から戦線を離脱[8]。そのままシーズンを終えたが、推定年俸5,000万円という条件で、後に1年契約を更新している[9]。
前述した右肩の炎症が春季キャンプ中に再発したため、別メニューでの調整を強いられた[10]。4月にイースタン・リーグ公式戦2試合へ登板するなど、一時は右肩が回復しつつあったものの、その後で炎症が再々発。7月12日には、患部の治療を目的にアメリカへ帰国した[11]。
なお、球団はシーズン中の5月15日に、自身と同姓のエリアン・エレラ内野手と契約。ファーストネームのエリアンをユニフォームやスコアボードの表示名に使うことを契約後に決めたため、自身はエレラという登録名の使用を続けていた。
チームは史上初めてクライマックスシリーズへ進出したものの、エレラは一軍への復帰を果たせないまま、レギュラーシーズンを終了。シリーズ終了後の10月17日には、選手契約を更新しないことが球団から発表された[12]。
Remove ads
プレースタイル
詳細情報
年度別投手成績
- 2016年度シーズン終了時
記録
- MLB
- 初登板・初先発:2008年7月12日、対セントルイス・カージナルス戦(PNCパーク)、4回1/3を6失点
- 初奪三振:同上、1回表にアルバート・プホルスから空振り三振
- 初勝利:2008年7月24日、対サンディエゴ・パドレス戦(PNCパーク)、6回無失点
- 初ホールド:2014年9月11日、対テキサス・レンジャーズ戦(グローブライフ・パーク・イン・アーリントン)、5回裏に3番手で救援登板、2/3回無失点
- NPB
背番号
- 64 (2008年)
- 60 (2014年 - 同年途中)
- 62 (2014年途中 - 同年終了)
- 53 (2015年 - 2016年)
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads