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ランディ・ジョーンズ
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ランドール・レオ・ジョーンズ(Randall Leo Jones, 1950年1月12日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州フラトン出身の元野球選手(投手)。左投右打。
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経歴
サンディエゴ・パドレス時代 (1972年 - 1980年)
1972年のMLBドラフトでサンディエゴ・パドレスから5巡目で指名され入団。1973年6月16日にメジャーデビュー。1974年はリーグワーストの22敗を喫したが、1975年は防御率2.24で最優秀防御率を獲得し、球団史上初の20勝を達成[1]。オールスターに初めて選出され、シーズン終了後にはカムバック賞を受賞。サイ・ヤング賞の投票ではトム・シーバーに次ぐ2位に入った。
1976年は自身初の開幕投手を務め、オールスター開催までにリーグ新記録となる16勝を挙げた[2]。オールスターではナリーグの先発投手を務め、3イニングを無失点に抑え勝ち投手となった。5月17日から6月22日にかけてクリスティ・マシューソンのリーグ記録に並ぶ68イニング連続無四球を記録[3]。ジョーンズはこの年サイ・ヤング賞を受賞し、22勝・40先発・25完投・315.1イニング・274被安打はいずれもリーグ1位かつ球団新記録となった[4][1]。
メッツ時代(1981年 - 1982年)
1980年12月15日にジョン・パセラとホセ・モレノとのトレードでニューヨーク・メッツへ移籍。メッツでは1981年が1勝8敗、1982年が7勝10敗と負け越し、戦力外通告される。翌1983年、ピッツバーグ・パイレーツのスプリングトレーニングに参加したが[5]、シーズン開幕前の3月27日に戦力外通告され、引退した。
引退後

サンディエゴ・パドレスの永久欠番に1997年指定。

引退後は実業家として「ランディ・ジョーンズ・バーベキュー」を経営し、古巣パドレスの現本拠地ペトコ・パークにも出店している。実業家の傍ら若手投手の指導も行っており、後にサイ・ヤング賞を受賞するバリー・ジトを新人時代に指導している。
1997年、ジョーンズのパドレス在籍時の背番号『35』が永久欠番に指定され[6]、1999年にはパドレス野球殿堂を果たした[7]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最多勝利 1回:1976年
- 最優秀防御率 1回:1975年
表彰
- サイ・ヤング賞 1回:1976年
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脚注
外部リンク
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