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三箇町

愛知県豊田市の地名 ウィキペディアから

三箇町
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三箇町(さんがちょう)は、愛知県豊田市町名

概要 三箇町, 国 ...

概要

豊田市の北西部に位置し、藤岡地区(旧西加茂郡藤岡町の町域にほぼ相当する)に属する。全体的に山がちで、南北に長い町域を持ち、南部では町境付近に木瀬ダムとダム湖であるしらさぎ湖があり、北部は岐阜県土岐市鶴里町と接する。町域の中央部を縦貫する三箇川とそれにほぼ併走する愛知県道13号豊田多治見線沿い、及び同線が同じく町域のほぼ中央部を西進する愛知県道353号大平折平線と重複・交差する付近に、人家が疎らかに集まっている。愛知県道13号は深い山林の中を北進するが、県境上付近には広漠とした平坦地があり、土岐市南部の盆地に連続している。

大正期には陶土材料である石粉の製造が盛んであったが、昭和期に入り衰退する[4]

歴史

沿革

  • 江戸期- 寛永期の『三河国村々高附』においては「加茂郡三ヶ村」、天保期の郷帳においては「加茂郡三箇村」という表記が見受けられる[5]
  • 1635年(寛永12年)当時- 幕府領であった[6]
  • 1698年元禄11年)当時- 旗本久永信豊の知行地となる[4]
  • 1871年明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第3小区に所属する[5]
  • 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が西加茂郡と東加茂郡に分割される。これに伴い、三箇村の所属が加茂郡から西加茂郡に変更される[4]
  • 1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、三箇村、石畳村(いしだたみむら)、大岩村(おおいわむら)、折平村(おりだいらむら)、上渡合村(かみどあいむら)、木瀬村(きせむら)、白川村(しらかわむら)、西市野々村(にしいちののむら)、北曽木村(ほくそぎむら)の9村が同組に組み込まれる[7]
  • 1889年(明治22年)10月1日- 市制・町村制施行に伴い、三箇村、石畳村、大岩村、折平村、上渡合村、木瀬村、白川村、西市野々村、北曽木村の9村が合併して西加茂郡高岡村が誕生し[8]、三箇村は高岡村大字三箇に継承される[4]
  • 1906年(明治39年)4月1日- 高岡村、富貴下村の内3大字、藤河村が合併して藤岡村が誕生し[9]、高岡村大字三箇は藤岡村大字三箇に継承される[4]
  • 1978年昭和53年)4月1日- 藤岡村の町制施行に伴い[9]、住所表示が藤岡町大字三箇に変更される[4]
  • 2005年平成17年)4月1日- 藤岡町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市三箇町に変更される。
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世帯数と人口

2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

さらに見る 町丁, 世帯数 ...

人口の変遷

国勢調査による人口の推移

2005年(平成17年) 376人[10]
2010年(平成22年) 354人[11]
2015年(平成27年) 311人[12]

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]

さらに見る 番・番地等, 小学校 ...

寺社

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榎一里塚
  • 八柱神社
1575年天正3年)の創建といわれる。境内には1773年安永2年)の銘のある常夜灯[6]や、『安政三丙辰晩春吉辰、奉再建拝殿一宇』と記された棟札を持った舞台が残っている[4]
山号は祐克山。本尊は十一面観世音菩薩1539年天文5年)の銘を持つ)。1571年元亀2年)に天桂良貞による開基、1734年享保19年に月船漂光による開山とされる[6]
  • 弘法堂
筋向かいには榎一里塚が残っている。

文化財

指定文化財

天然記念物

豊田市指定。1974年(昭和49年)2月10日指定。個人が管理。
豊田市指定。1974年(昭和49年)2月10日指定。個人が管理。

名木

豊田市指定名木。樹高8.0m、樹齢100年以上。所在地は三箇町石田。
豊田市指定名木。樹高31.0m、樹齢500年以上。所在地は三箇町森前14。

その他の文化財

散布地

  • 訳地(わけじ)遺跡- 縄文時代[6]
  • 中畑(なかばた)遺跡- 縄文時代[6]

古窯

  • 田野尻窯- 近現代[16]

その他

日本郵便

  • 郵便番号 : 470-0402[2](集配局:藤岡郵便局[17])。

脚注

参考文献

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