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馬場口洋一
日本の男性総合格闘家、元大相撲力士 (1966-) ウィキペディアから
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馬場口 洋一(ばばぐち よういち、1966年3月8日 - )は、東京都中野区(出生地は千葉県千葉市)出身で日本の男性総合格闘家、二子山部屋所属の元大相撲力士。大相撲時代の四股名は若翔洋 俊一(わかしょうよう しゅんいち)、最高位は東張出関脇、キックボクシング・総合格闘技でのリングネームは若翔洋、WAKASHOYOを経て本名と同じ馬場口洋一にしたが、現在は再び若翔洋を名乗ってプロレスラーとして活動している。得意手は左四つ、寄り、小手投げ[1]。 ステテコ隊に所属しておりNo.5を担当している[2]。現在は、東京つけ蕎麦専門店『東京KING』東加古川駅前店の店長も務める。[3]
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経歴
要約
視点
大相撲時代
中野区立中野富士見中学校(現・南中野中学校。1学年先輩に野村義男がいる)を卒業後、1981年に二子山部屋(師匠は第45代横綱・若乃花)へ入門。同年5月場所に馬場口の四股名で初土俵を踏んだ。付き人を務めていた第59代横綱・隆の里による命名で三段目時代の1983年11月場所より四股名を紫電隆(しでんりゅう)と改名し、1986年1月場所に三段目優勝して幕下に定着した。しかし脊椎分離症[1]によって休場が続いたこともあり、四股名も馬場口の名前に戻した。
治療のかいもあり、1991年5月場所で十両に昇進して若翔洋俊一と改名、十両を2場所で通過して同年9月場所に新入幕を果たした。1993年には元大関・貴ノ花の藤島部屋と合併して新・二子山部屋所属となり、後に横綱となる貴乃花、若乃花兄弟など稽古相手に恵まれた(若貴との対戦が無くなったことは一部で惜しまれた)。1993年1月場所では10勝5敗。続く1993年3月場所は小結昇進、横綱・曙を破るなどして10勝5敗の成績を挙げ、翌5月場所には関脇に昇進した[1]。
貴闘力は「仲良いっていうよりも、だって…冗談抜きで、若翔洋さんだけかな?八百長していなかったの、(初代若乃花の)旧二子山部屋(からの旧藤島部屋への預かり弟子)で…」と証言しており、旧藤島部屋の力士とは気が合ったと語っている。特に3代若乃花と手が合った。貴闘力は若翔洋のことを、人付き合いがあまり器用ではない温和な人柄だったという趣旨の話をしている[4]。
三役・幕内上位にいたが怪我のため、その後は伸び悩み幕内下位と十両を往復するなどして1997年9月場所には幕下まで陥落、同年11月場所限りで引退した。引退後は、年寄・音羽山を襲名して二子山部屋部屋付き親方として後進の指導にあたった。2000年3月、元小結・隆三杉の藤島親方が音羽山に名跡変更することになり日本相撲協会を退職した。 2012年12月より兵庫県加古川市で力士料理『若翔洋』をオープンしたが、2014年6月30日に賃貸契約と移転問題で閉店を余儀なくされた。2014年12月に雑誌のインタビューに応じた際には、霊園開発および墓石販売を行う『山石』の社長の支援もあって同社の告宣伝部門を務めており、山石ピクチャーズの専属タレントも行っていることを明かした。同年10月4日からは『BAN-BANラジオ』で毎週土曜日午後9時『ごっちゃんです!』の主役を務めており、居住状況についても「加古川市内一人暮らししてる。もちろん、住民票もちゃんと移したし、もうすっかり播州の人間だよ」と答えていた。[5][6][7]時期は不明だが離婚している。
年寄名跡問題
2000年3月に横綱・若乃花が引退、横綱の特権として5年間は現役名のまま相撲協会に残ることができるが、若翔洋は相撲界の政治に巻き込まれ退職させられた。 直後に若乃花は藤島を襲名、前藤島の隆三杉が音羽山を襲名した。(音羽山は貴ノ浪所有)。
格闘家への転向
- 2004年6月 - パンクラスMEGATONに入団
- 2005年1月 - TEAM PAON結成、フリーへ転向
- 2005年3月19日 - K-1でリングネーム若翔洋として格闘家デビュー、7月6日 - HERO'Sで総合格闘技デビュー
- 2006年4月 - リングネームをWAKASHOYOに変更[8]
- 2007年9月8日 - プロレスのIGF「GENOME」でエリック・パーソンと対戦し、STFでギブアップ負け
- 2008年3月29日 - リングネームを本名の馬場口洋一に変更し、DEEP メガトンGPに出場。1回戦で鶴亀金太郎と対戦し、TKO勝ち。格闘家転身後、初勝利を挙げた。6月23日 - IGF「GENOME5 〜北海道元気サミット〜」でエリック・ハマーと対戦し、KO負け。8月15日 - IGF「GENOME6 闘魂BOM-BA-YE」で澤田敦士と対戦し、フォール負け。
- 2011年12月6日 - フリーの立場として若翔洋のリングネームで武道掣圏第二回大会に出場。第9試合(無差別級)で柴田正人と対戦し、2本選手で勝利。
- 2014年4月16日、リアルジャパンでデビューを迎えを行い、タカ・クノウと対戦。3分20秒、腕ひしぎ十字固めでギブアップ負け。[9]
- 2016年6月 ジャパンプロレス2000 J2000選手権チャンピオン
- 2018年4月29日 KING7 MMA無差別級 初代チャンピオン
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戦績
総合格闘技
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | 藤沼弘秀 | 1R 0:17 TKO(スタンドパンチ連打) | DEEP 47 IMPACT | 2010年4月17日 |
× | 川口雄介 | 1R 0:16 TKO(パウンド) | club DEEP TOKYO 〜メガトンGP 2008〜 【メガトンGP 2回戦】 | 2008年5月24日 |
○ | 鶴亀金太郎 | 1R 1:22 TKO(右フック→パウンド) | DEEP メガトンGP 2008 【メガトンGP 1回戦】 | 2008年3月29日 |
× | 謙吾 | 1R 0:20 TKO(パウンド) | CAGE FORCE EX -western bound- | 2007年2月17日 |
× | 浜中和宏 | 1R 1:22 チキンウィングアームロック | HERO'S 2006 | 2006年5月3日 |
△ | 西田操一 | 5分2R終了 判定0-0 | D.O.G | 2005年12月11日 |
× | ピーター・アーツ | 1R 1:36 TKO(右ストレート→パウンド) | HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント開幕戦 | 2005年7月6日 |
キックボクシング
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | 昇平 | 1R 0:46 TKO(ローキック) | 宇都宮蹴拳伝 Vol.2 〜宇都宮四天王凱旋!〜 | 2009年3月29日 |
× | 上野正美 | 1R 0:40 KO(ローキック) | CHIKUSEI FIGHTING DREAM | 2008年9月15日 |
× | 濱田淳史 | 1R 1:55 KO(右ローキック) | 燃えろドラゴン! その壱 | 2007年12月22日 |
× | 嚴士鎔 | 1R 0:54 KO(右ローキック) | 新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS II」 | 2007年9月16日 |
△ | ミスター神風 | 3R終了 判定0-0 | 琉球 Kamikaze Spirits | 2005年11月13日 |
× | チェ・ホンマン | 1R 1:40 TKO(2ノックダウン:右フック) | K-1 WORLD GP 2005 in SEOUL 【ASIA GP 1回戦】 | 2005年3月19日 |
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主な成績
大相撲
- 通算成績:499勝444敗52休(100場所)勝率.529[10]
- 幕内成績:144勝185敗16休 勝率.438
- 幕内在位:23場所
- 三役在位:4場所(関脇1場所、小結3場所)
- 三賞:2回
- 敢闘賞:2回(1993年1月場所、1993年3月場所)
- 金星:なし
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1992年7月場所)
- 三段目優勝:1回(1986年1月場所)
場所別成績
幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。
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改名歴
- 馬場口 洋一(ばばぐち よういち)1981年5月場所-1983年9月場所
- 紫電隆 洋一(しでんりゅう よういち)1983年11月場所-1989年11月場所
- 馬場口 洋一(ばばぐち よういち)1990年1月場所-1991年3月場所
- 若翔洋 俊一(わかしょうよう しゅんいち)1991年5月場所-1997年11月場所
年寄変遷
- 音羽山 俊一(おとわやま しゅんいち)1997年11月-1998年1月
- 音羽山 洋一(おとわやま よういち)1998年1月-2000年3月
リングネーム
- 若翔洋(わかしょうよう)2005年3月-2006年4月、2010年4月-
- WAKASHOYO(わかしょうよう)2006年4月-2008年3月
- 馬場口 洋一(ばばぐち よういち)2008年3月-2010年4月
- 若翔洋(わかしょうよう)2010年4月-
テレビ出演
関連項目
脚注
外部リンク
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