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下名 (いちき串木野市)

日本の鹿児島県いちき串木野市にあった大字 ウィキペディアから

下名 (いちき串木野市)
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下名(しもんみょう)は、鹿児島県いちき串木野市1889年明治22年)から2012年平成24年)まで存在した大字。旧日置郡串木野郷下名村、日置郡串木野村大字下名、日置郡串木野町大字下名串木野市下名。人口は6,646人、世帯数は2,499世帯(2010年10月1日現在)[1]郵便番号は896-0053。

概要 下名, 国 ...

2011年10月11日に行われた町名等整理事業により下名の大部分の区域を分割し21町が設置され、2012年10月9日に残部が海瀬及び生福に編入されたのに伴い廃止された。

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地理

いちき串木野市の中央部から北部、五反田川、八房川の下流域に位置している。下名は南北に長い大字であったが、1946年(昭和21年)から1957年(昭和32年)にかけて行われた戦災復興土地区画整理事業により、字域の中央にあった市街地部に町名が設定されたため、字域が戦災復興土地区画整理事業で設定された町を挟んで、南北に分断されている状態になっていた[2]

2011年時点の字域の北方は薩摩川内市都町木場茶屋町川永野町、北方から西方にかけては荒川、東方は上名、南方には大里湊町川上が接している。また、中央部には下名から分割された町があり、南部は東島平町緑町住吉町日出町と接しており、北部は曙町東塩田町西塩田町汐見町西薩町に接していた。

字域を南北に国道3号が通り、それに沿って鹿児島本線が通り、字域内には串木野駅神村学園前駅があった。尚、一部は国道3号に沿って南九州西回り自動車道川内道路が町域内を通っているが大部分は上名を通っている。南部の酔ノ尾交差点からは鹿児島県道312号島平酔尾線が西方に通っており、沿線にはいちき串木野警察署がある。また、西部を鹿児島県道43号川内串木野線が南北に通っていた。

教育施設は北部にいちき串木野市立旭小学校、中央部にいちき串木野市立串木野西中学校、南方には神村学園専修学校、神村学園初等部・中等部・高等部及び神村学園附属幼稚園鹿児島県立串木野養護学校が所在していた。

河川

  • 五反田川
  • 八房川
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歴史

要約
視点

成立から町村制施行まで

下名という地名は江戸期より見え、薩摩国日置郡串木野のうちであった。「三国名勝図会」では串木野村下名ともある。「旧高旧領」では下名村の村高は3,102石余であったとある。慶長3年の朝鮮出兵から帰国した際に島津義弘が朝鮮より陶工を下名村の島平に連れ帰り、陶工らは一時期この地で陶業に従事していたとされ、後に苗代川(現在の日置市東市来町美山)に移住したとされる[3]

1879年(明治12年)に浦町的な性格を持つ町場、浜ノ町、下り町の3町が下名村より分離し、1882年(明治15年)には浜浦を串木野町に編入されたとされる[4]

町村制施行以降

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、串木野郷の区域より串木野村が成立し、それまでの下名村は串木野村の大字「下名」となり、同時に明治12年に下名村より分割された串木野町を再び編入したとされるが、独立した大字「串木野」とされている資料もある[5]1935年(昭和10年)には串木野村が町制施行し、1950年(昭和25年)に串木野町が市制施行し、串木野市の大字となった[3]

1954年(昭和29年)に中心市街地で行われた戦災復興土地区画整理事業による区画整理実施区域に曙町旭町浦和町大原町御倉町春日町北浜町京町栄町桜町汐見町昭和通新生町住吉町高見町中尾町西浜町日出町港町本浜町元町が設置された。また、1969年(昭和44年)に塩屋町緑町の各一部に分割された[3]

1983年昭和58年)10月26日に下名字道尻の一部が御倉町に編入され、新生町及び下名字小瀬の一部より小瀬町、下名字石河山、字長崎の各一部より長崎町、下名字道尻の一部より美住町が設置され[6]、同年11月には下名の一部が御倉町、長崎町小瀬町に編入された[7]

1988年昭和63年)5月13日に下名の一部が曙町、下名及び曙町の一部が春日町、下名及び汐見町の一部が京町にそれぞれ編入され、曙町及び下名の各一部より東塩田町、汐見町及び下名の各一部より西塩田町が設置さた[8]。同年10月21日には下名の一部より東島平町及び西島平町が設置された[9]

1989年平成元年)に一部が西島平町に編入された[10]1990年平成2年)には一部より西薩町が設置され[11][12]1992年平成4年)に一部が西薩町に編入された[13]1999年平成11年)に下名字東高畑、字中高畑、字西高畑の各一部が上名字東高畑の一部となり、上名字西高畑及び東高畑の各一部を下名字中高畑に編入した[14]

2005年(平成17年)10月11日には串木野市市来町と合併し、いちき串木野市の大字「下名」となった[15]

また、2011年平成23年)10月11日には下名から海瀬八房照島別府ひばりが丘住吉町の一部、恵比須町東島平町の一部、日出町の一部、曙町浜ケ城の一部、平江三井薩摩山金山下金山芹ケ野野下深田上深田下野元にそれぞれ分割された[16]

2012年平成24年)10月9日に下名の残部の一部(東愛宕平、辻平、永野原、愛宕段、南狩越、中狩越、北狩越、揚り立、次郎左衛門山、札立段、北肥名子坂、肥名子坂、北平)が海瀬へ編入され、一部(前之段、熊ノ谷)が生福の一部となるのに伴い[17]、下名は消滅した。

人口の変遷

統計年次〔年〕 世帯数〔世帯〕 総人口〔人〕 出典
1871年(明治4年) 1,019 4,570 [3]
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字域の変遷

さらに見る 分割実施後, 分割実施年 ...
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施設(2011年時点)

公共
教育
郵便局
  • 芹ヶ野郵便局
寺社
  • 串木野神社
  • 八房神社
  • 別府稲荷神社
その他

交通(2011年時点)

道路

高規格幹線道路
国道
県道
広域農道

鉄道

九州旅客鉄道鹿児島本線

脚注

関連項目

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