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両磐

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両磐
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両磐(りょうばん)は、旧磐井郡を指す地域名。

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明治初期の磐井郡(現在の両磐)の範囲

磐井郡と両磐

要約
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磐井郡は、分割前の陸奥国中部(後の陸中国)にあった近世は、仙台藩領と一関藩領(実質的な仙台藩の支藩)に属し、明治以降は陸中国、一関県水沢県磐井県岩手県に属した。

1879年(明治12年)1月4日西磐井郡東磐井郡に分割されて磐井郡は消滅したが、両者を合わせて「両磐」との呼称が生まれた。現在は、磐井郡よりも「両磐」の方が当地を指す名称として一般的である。

平成の大合併において、一関市を中心に両磐地区合併協議会が設置され、全域での合併協議が行われた。奥州藤原氏の拠点であり、平安時代末期には平安京に次ぐ日本第二の都市であった平泉の名を採って「平泉市」となる予定であったが、名称に関わる裏取引が発覚して合併協議は破綻した。その後、一関市を中心とした合併がなされて「両磐」のほとんどが一関市となり、平泉町藤沢町が各々単独町制の道を選んだ。当初一関市との合流を望んでいた藤沢町は、財政上の問題がクリアされ、改めて一関市に合流している。

両磐における自治体の変遷

ここでは、変遷表による記述にとどめておく。詳しくは各郡の記事を参照されたい。

さらに見る 所属 郡, 藩政期 ...
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都市圏

要約
視点

一般的な都市圏の定義については「都市圏」を参照

都市雇用圏

当地域の都市雇用圏(10% 通勤圏)の変遷は以下のようになっている。

  • 10% 通勤圏に入っていない自治体は、各統計年の欄で「-」で示す。
  • 旧磐井郡ではない自治体(岩手県胆沢郡衣川村、宮城県栗原郡金成町)は、背景を灰色で示す。
さらに見る 県, 郡 ...

行政の取り組み

一関市が平泉町と定住自立圏形成協定を2013年に結び、一関・平泉定住自立圏を形成している。

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関連項目

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