トップQs
タイムライン
チャット
視点

中岡創一

日本のお笑い芸人、俳優 (1977-) ウィキペディアから

Remove ads

中岡 創一(なかおか そういち、1977年昭和52年〉12月8日 - )は、日本お笑い芸人俳優。お笑いコンビロッチのボケ・小道具担当。相方はコカドケンタロウワタナベエンターテインメント所属。身長162cm[1]。愛称は「創ちゃん」または「キング」。

概要 中岡(なかおか) 創一(そういち), 本名 ...
Remove ads

経歴

愛知県半田病院で生まれ、幼少期を美浜町で過ごした。小学校入学時に奈良県橿原市に移った。

橿原市立真菅小学校、橿原市立大成中学校[2]大谷高等学校を卒業[3]した。

同高校3年生在学中に、大阪NSC16期生として入学した[4]

当初、見藤恭太郎、藤枝孝友とともに「3児」というお笑いトリオを組んでいた。

しかし、20歳を越えて初めて出来た彼女と結婚したいと考えた事や、後輩のキングコングの姿を見て「売れるとはああいうことか。自分なんか無理や」と諦めて22歳のときに芸人を引退した[5]

父親のコネにより、5年にわたって愛知県豊田市の自動車部品工場であるサンコール広瀬工場に勤務した。この勤務時代についてはのち、「工場へ行こう3」でもエピソードを披露した[6]。やがて結婚資金を貯め、28歳の時に彼女にプロポーズしたが、「結婚には興味がない」と言われフラれてしまった。また、中岡によるとこの女性は、1年半後に別の男性と入籍したという[7][8][9]

2005年、上述の別離の2週間後、NSC時代の先輩で現在の相方であるコカドケンタロウから、コカドの当時の相方が失踪したと連絡があり、失意の2人は他の知人も誘って沖縄旅行に出かけた。その旅行は中岡にとっては非常に楽しいものであった。さらにコカドに新しい相方になってほしいと誘われたため、芸人に復帰した。なお、引退期間も芸歴は加算されている。

中岡の父親はマルナカ技研という金属加工の会社の社長であり[10]、ゴムメタルと言う金属を使用したメガネフレームなどを開発している。家庭では非常に厳格な性格であったが、ある日、中岡が地元のキャバクラに行くと「あのスケベな中岡さんの息子さん!?」と言われたという。

2022年3月17日、『世界の果てまでイッテQ!』の鹿児島県でのロケ撮影中に転倒し負傷。右足関節外踝骨折で全治2か月と診断された[11]

2025年7月4日、『世界の果てまでイッテQ!』のベトナムでのロケ撮影中、お尻を強打し負傷。第2腰椎圧迫骨折疑いと診断された。全治は数か月の見込み[12]

Remove ads

人物

メガネと、肩まで伸びる髪が大きな特徴[注 1]

橿原市立大成中学校と大谷高等学校でフィールドホッケーをプレーしており、中岡曰く「日本代表を目指していた」という[3][13]

出川哲朗とは公私ともに交流が深く、2人で錦織圭の試合を観戦したこともある[14]

鈴木拓ドランクドラゴン)を芸人として尊敬していると公言している[15]

ある時まで血液型はB型だと思い込んでいたが、野球の試合で怪我をした際に血液検査をしたらO型と判明した。

うわっ!ダマされた大賞』(日本テレビ)でドッキリを仕掛けられた際に、他者と一線を画す風格ある反応であったため「キング」という称号が付けられた。

2016年より橿原市観光大使[2][16]

2020年2月より、日本ホッケー協会の公認ホッケーアンバサダーを務める[3]。またYouTubeのスポニチチャンネル「ロッチ・中岡創一のホッケー講座 - YouTubeプレイリスト」ではルールや楽しみ方を紹介している[17]

愛車はいすゞ・117クーペ。ある日信号待ちで並んだ117クーペに惹かれて購入を決意[18][19]。それまで乗っていたホンダ・フィット(2代目のマイナーチェンジ後のモデル)はサンシャイン池崎に譲渡した[20]

大のフレンチブルドッグ好きとして知られる。ロケが多いという理由で実際には飼っておらず、インスタでフレンチブルドッグのアカウントばかりフォローしている。2024年のフレンチブルドッグLIVEではロッチとして総合司会を務めた。

2024年5月、結婚したことを報告した[21]

Remove ads

出演

バラエティ

テレビドラマ

劇場アニメ

Web

CM

PV

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads