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中濱裕之
日本のプロ野球選手 (1978-) ウィキペディアから
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中濱 裕之(なかはま ひろゆき、1978年4月10日 - )は、福島県郡山市出身の元プロ野球選手(外野手)。
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経歴
仙台育英学園高等学校在籍時、1995年の第67回選抜大会と第77回全国選手権・1996年夏の第78回全国選手権に出場。1996年度ドラフト会議にて近鉄バファローズから4位指名を受けて入団。
プロ5年目の2001年、二軍での成績は打率.347を記録してウエスタン・リーグ首位打者に。同年、1軍初出場初安打を記録。
2002年オフに小野仁、永池恭男とのトレードで吉川元浩と共に読売ジャイアンツへ移籍。翌2003年、1軍初スタメン出場及び初打点を記録。
2005年オフに戦力外通告を受けた。トライアウトを受けるもオファーがなく、埼玉県のクラブチームである一球幸魂倶楽部に入団。
2006年3月にはクラブチーム選抜メンバー「Clubチャレンジニッポン!」のメンバーに選出される。同年9月からは西多摩倶楽部に在籍。
2007年シーズンからNTTグループ東北マークスに所属し、7月から楽天の主催する野球塾のコーチに就任。第78回都市対抗野球では、所属チームは東北一次予選で敗退したものの、岩手21赤べこ野球軍団に補強されて本大会初出場を果たし、1回戦の対四国銀行戦では4番レフトで先発出場して2安打を放った。この年もプロ復帰を目指して12球団合同トライアウトに参加したが声はかからなかった。
2008年から楽天イーグルスジュニアスクールのコーチに就任し、2015年からは楽天が保有するリトルシニアチーム「東北楽天リトルシニア」の監督となる[1]。就任2年目の2016年には秋季新人東北大会優勝、全国出場に導いた[1]。2021年9月1日からは宮城県仙台市で個別野球スクール「ドリームベースボール」を立ち上げた[1]。
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人物
現役時代の自身を「生意気な問題児」「失敗者」と振り返り、不遜な態度を取ったり、コーチと衝突することもあったという[2]。改心した転機として2008年の楽天ジュニアスクールコーチ就任を挙げている[2][1]。中濱は「失敗からいろいろなことを考え、成長できた。僕だから伝えていけることもあると思うんです」「性格はなかなか変えられないですが、考え方は変えられる。僕を慕って来てくれる子どもたちがいる。彼らのことを考えたら、自然とそうなりましたね」と語っている[2]。
子どもの野球指導では『長所を褒める。個々に応じて適切な言葉を選ぶ。時に冗談を言い合う』[2]。この小さな積み重ねを大事にしている[2]。中濱は「どれだけ子どもたちが分かりやすく、理論的に説明できるか。頭ごなしに指示しても子どもたちは理解できない。理解できなければやろうとはしない」「子どもたちは楽しいから野球をやる。それを継続させるためのコーチ。楽しくないと次に進めないですからね」「僕は子どもたちに諦めないで欲しいんです。これから絶対に挫折はある。その時に諦めないでやれる子を育てたい。それは人生もそうですから」と語っている[2]。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 56(1997年 - 2002年)
- 51(2003年 - 2005年)
脚注
関連項目
外部リンク
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