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中田金一
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中田 金一(なかた きんいち、1921年2月1日[1] - 2008年12月13日[2])は大阪府出身のプロ野球選手・審判員。
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来歴・人物
日新商業学校(現:東大阪市立日新高等学校)時代には、1938年の選抜甲子園に出場した。1939年に大阪タイガースに入団。身長163cmと小柄な選手で、1940年には64試合に出場している。1942年に応召、シベリアに出兵。戦後はシベリア抑留により、すぐに帰国できず、1948年秋に帰国した。しかし、戦争・シベリア抑留の影響か活躍できず、1950年オフに退団。以後はセントラル・リーグの審判員となった。
当初は捕手として入団したが、出場は外野手や一塁手のみであった。
ユニークな選手で、選手時代に「金ちゃんは方針を間違えた」(野球選手にならずに、今で言うタレントになった方が良かった)とからかわれたこともあったという。[3]
詳細情報
年度別打撃成績
- 大阪(大阪タイガース)は、1940年途中に阪神(阪神軍)に球団名を変更
背番号
- 34 (1939年 - 1941年)
- 16 (1948年 - 1949年)
- 23 (1950年)
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脚注
関連項目
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