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中谷翼
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中谷 翼(なかたに つばさ、1984年9月30日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。現在は読売ジャイアンツの球団職員。
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経歴
プロ入り前
大阪府枚方市出身。招提中学時代はオール枚方ボーイズに在籍し1999年のジャイアンツカップに出場。高校は仙台育英高に進学し、2年時には二塁手として第73回選抜高等学校野球大会で準優勝を経験する。同期に矢貫俊之、菊池俊夫。
四国IL・愛媛時代
大学中退後、社会人チームの採用もなかったが、進退をかけて臨んだ四国アイランドリーグの入団テストに合格し、2005年に、愛媛マンダリンパイレーツに入団。打率.296、本塁打5、打点38と、いずれの部門でもリーグ2位の成績を残す。盗塁はチームトップの21。二塁手としてベストナインも獲得。
同年の育成選手ドラフト1巡目で広島東洋カープから指名を受けて入団。背番号128は、愛媛時代の28に100を足したものであった[1]。
広島時代
2007年2月18日の紅白戦で高橋建から左打者ながらレフトオーバーの2塁打を放つ。その10日後の2月28日に支配下登録をされ、背番号も128から56に変更。同年5月8日に一軍初出場を果たした。打撃の評価は高いものの、二軍では2007年に15失策、2008年に6失策を喫するなど守備に不安が残った。
2010年、9月25日の阪神戦で初の先発出場を果たした。守備では内野フライを落球する失策を犯した一方で、打撃では一軍初安打と初打点を記録した[2]。しかし9月末に右肘靭帯を負傷、10月に再建手術を受けて回復まで8か月以上を要すると見込まれた[3]。そのため10月26日に戦力外通告を受け[3]、支配下選手登録を外れた後11月16日に育成選手として再契約した。
引退後
現役引退後は、読売ジャイアンツのブルペン捕手に転身した[6]。
2018年1月1日付けで運営部に異動することが発表された。
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選手としての特徴
俊足巧打が武器の内野手[7]。高い打撃センスを誇り[8]、プロ2年目の当時育成選手として参加した春季キャンプでは、中谷の打撃を見た主力選手の前田智徳が「なんであれで育成選手なんだ」と目を見張るほどであった[9]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
- NPB
独立リーグでの打撃成績
背番号
- 28 (2005年)
- 128 (2006年 - 2007年途中、2011年 - 2013年)
- 56 (2007年途中 - 2010年)
- 210 (2014年 - 2017年)
脚注
関連項目
外部リンク
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