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丸山一仁
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丸山 一仁(まるやま かずひと、1960年10月30日 - )は、愛媛県上浮穴郡久万町[1](現:久万高原町)出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。
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経歴
愛媛県立上浮穴高等学校から近畿大学へ進み、4年春にはベストナインを受賞。1982年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから5位指名を受け入団。大学の1年後輩に西浦敏弘がいた。
プロ1年目の1983年から一軍出場を果たすが、西村徳文が二塁手に定着すると一・二軍の往復が中心になる。1989年は開幕一軍メンバー入りしたが二塁手には堀幸一が台頭、大学の先輩である有藤道世監督から引導を渡されたことで[2]、この年限りで現役を引退。
引退後もロッテ球団に留まり、球界初の金田正一監督付き専属広報担当(1990年)に就任。その後は二軍打撃・守備走塁コーチ補佐(1991年)、二軍守備打撃コーチ補佐(1992年)、二軍内野守備コーチ(1993年)を務める。
コーチを退任し、1995年の広岡達朗GM・ボビー・バレンタイン監督就任の際は、チーム/フロント広報を担当。以降は、フロント業務(法人営業/連盟担当/浦和球場施設管理担当)を経て、2007年に振興部地域振興課シニアマネジャーに就任。
2014年は、中国・台湾担当として中国江蘇省無錫市にある江蘇ホープスターズで選手育成及びコーチ指導。その他、無錫市内の大学・高校・少年野球指導など野球振興に携わる[3]。
2016年は、球団事業本部営業部チーフとして、年間席シートや広告看板の営業を担当[4]。
2020年、10月の誕生日を前にして7月31日付でロッテ球団を定年退職。退職セレモニーとしてZOZOマリンスタジアムでこの日行われた対東北楽天ゴールデンイーグルス第10回戦の試合前に始球式を行い、37年間在籍したロッテ球団から退いた[5]。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 2 (1983年 - 1986年)
- 39 (1987年 - 1989年)
- 77 (1991年 - 1993年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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