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九戸郡
岩手県の郡 ウィキペディアから
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人口29,094人、面積763.56km²、人口密度38.1人/km²。(2025年7月1日、推計人口)
以下の2町2村を含む。
郡域
九戸郡(第1次)
明治11年(1878年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町2村のほか、久慈市および岩手郡葛巻町の大部分(田部を除く)にあたる。
九戸郡(第2次)
明治30年(1897年)に行政区画として発足した当時の郡域は、第1次九戸郡全域にあたる。
九戸郡(第1次)
- 寛永11年(1634年)の陸奥国糠部郡の4分割(二戸郡・三戸郡・九戸郡・北郡)にともない成立。
- 幕末時点では陸奥国に所属した。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点の支配は以下の通り。(58村)
- 明治元年12月7日(1869年1月19日)
- 明治2年8月7日(1869年9月12日) - 盛岡県(第1次)の区域をもって江刺県を設置。
- 明治4年7月14日(1871年8月19日) - 廃藩置県により、藩領が八戸県(第2次)となる。
- 明治4年11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により、全域が盛岡県(第3次)の管轄となる。
- 明治5年1月8日(1872年2月16日) - 盛岡県(第3次)が岩手県に改称。
- 明治11年(1878年)侍浜村のうち旧・八戸藩領が南侍浜村、旧・盛岡藩領が北侍浜村に分村。(59村)
- 明治11年(1878年)11月26日 - 郡区町村編制法の岩手県での施行により、行政区画としての九戸郡が発足。
- 明治12年(1879年)1月4日 - 分割され、大目川村ほか27村の区域をもって南九戸郡が、軽米村ほか32村の区域をもって北九戸郡がそれぞれ発足。同日九戸郡(第1次)廃止。
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九戸郡(第2次)

- 明治30年(1897年)4月1日 - 南九戸郡・北九戸郡の区域をもって、九戸郡(第2次)が発足[6]。郡制の施行により、九戸郡役所が久慈町に設置される。(1町19村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡制が廃止される[7]。郡役所は存続。
- 大正14年(1925年)1月1日 - 軽米村が町制施行して軽米町となる。(2町18村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 九戸郡役所が廃止される[8]。九戸郡各町村を管轄区域とする九戸支庁が久慈町に設置される[9]。
- 昭和7年(1932年)4月1日 - 九戸支庁が廃止される[10][11]。
- 昭和15年(1940年)12月25日 - 葛巻村が町制施行して葛巻町となる。(3町17村)
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 九戸郡を管轄区域とする九戸地方事務所が久慈町に設置される[12]。
- 昭和23年(1948年)7月1日 - 葛巻町・江刈村の所属郡が岩手郡に変更[13]。(2町16村)
- 昭和26年(1951年)4月1日 - 種市村が町制施行して種市町となる。(3町15村)
- 昭和27年(1952年)6月1日 - 長内村が町制施行して長内町となる。(4町14村)
- 昭和29年(1954年)11月3日 - 久慈町・長内町・宇部村・大川目村・侍浜村・夏井村・山根村が合併して久慈市が発足し、郡より離脱。(2町9村)
- 昭和30年(1955年)
- 平成18年(2006年)
変遷表
自治体の変遷
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行政
1897年(明治30年)の合併以降の郡長は以下の通りである[16]。
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脚注
参考文献
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