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仲田建二
日本のサッカー選手、監督 ウィキペディアから
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仲田 建二(なかだ けんじ、1973年10月4日 - )は、山梨県北巨摩郡須玉町(現:北杜市)[1] 出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
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来歴
1996年に地元・甲府に入団以来10年間、DFの要として最終ラインを支え続けた。J2参戦後は主将を務め、「ミスター・ヴァンフォーレ」としてファンから愛された[2]。
1999年から3年連続J2最下位、2000年にはJリーグワーストの19連敗、さらに深刻な経営難という苦しいチーム状況の中でも仲田の奮闘ぶりは光った。2000年シーズン終了後に一旦は戦力外通告を受けるも、結局翌2001年シーズン直前にクラブと再契約を交わしている[3]。背番号が同シーズンのみお馴染みの"6"でないのはそのため。以後チームは上昇したが自身は怪我に悩まされ、在籍10年目の2005年に悲願のJ1昇格を達成したのを見届けて現役を引退した。
引退後はヴァンフォーレ甲府アカデミーのコーチ、山梨学院大学サッカー部のコーチを歴任。2018年から水戸ホーリーホックトップチームのヘッドコーチに就任した[4]。
2020年、FC岐阜トップチームのヘッドコーチに就任した[5]。同年9月21日、監督のゼムノビッチ・ズドラヴコが休養したため暫定的に監督を務める[6]。9月25日、正式に監督に就任した[7]。シーズン終了後に退任し、2021年からは再び岐阜のヘッドコーチに就任[8]。
2022年、Y.S.C.C.横浜の監督に就任した[9]。5月25日に監督を辞任した[10]。
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所属クラブ
- 須玉町立須玉中学校
- 山梨県立韮崎高等学校
- 青山学院大学
- 1996年 - 2005年 ヴァンフォーレ甲府
個人成績
- Jリーグ初出場 - 1999年3月14日 J2第1節 大宮アルディージャ戦(韮崎中央公園陸上競技場)
- Jリーグ初得点 - 1999年3月28日 J2第3節 ベガルタ仙台戦(韮崎中央公園陸上競技場)
指導歴
- 2006年 - 2017年 ヴァンフォーレ甲府
- 2006年 ジュニアユース コーチ[11]
- 2007年 - 2009年5月 ユース コーチ[12][13]
- 2009年5月 - 同年12月 トップチーム コーチ[14]
- 2010年 ユース コーチ
- 2011年 - 2012年 U-15 監督
- 2013年 - 2017年 山梨学院大学サッカー部 コーチ (甲府から派遣)
- 2018年 - 2019年 水戸ホーリーホック ヘッドコーチ
- 2020年 - 2021年 FC岐阜
- 2020年 - 同年9月 ヘッドコーチ
- 2020年9月 - 同年12月 監督
- 2021年 ヘッドコーチ
- 2022年 - 同年5月 Y.S.C.C.横浜 監督
- フォルトゥナサッカークラブ コーチ兼アドバイザー
- 2024年 - 藤枝MYFC ヘッドコーチ
脚注
関連項目
外部リンク
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