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伊藤洋輝

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

伊藤洋輝
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伊藤 洋輝(いとう ひろき、1999年5月12日 - )は、静岡県浜松市中央区出身のプロサッカー選手ブンデスリーガFCバイエルン・ミュンヘン所属。ポジションはディフェンダー(センターバック、左サイドバック)。日本代表

概要 伊藤 洋輝, 名前 ...
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経歴

要約
視点

プロ入り前

幼少期から静岡県西部地区を拠点に活動するマリオフットサルスクールでプレーし、サッカーとフットサルの二つに親しんでいた。浜松市立蒲小学校の4年生の春休みには、ブラジルの名門クラブ、サントスFCの下部組織のセレクションに合格して短期留学した経験もある[1][2]

小学校卒業後はジュビロ磐田のU-15、U-18でプレイした。2017年5月19日、トップチームに昇格[3]。トップチームに昇格が決定した後はユースの試合には出場せず、通信高校に編入するなどしてトップの練習に帯同することになった[4]

ジュビロ磐田

2018年、AFC U-23選手権に挑むU-21日本代表メンバーに選出。1月17日、第3戦のU-23北朝鮮代表戦では2アシストの活躍を見せた[5]。3月7日に行われたルヴァンカップ第1節の清水エスパルス戦でプロデビューを果たし[6]、8月19日、第23節の柏レイソル戦でリーグ戦デビューも果たした[7]

名古屋グランパス

2019年シーズンは、名古屋グランパス期限付き移籍[8]。名古屋ではリーグ戦、カップ戦合わせ9試合に出場した。

ジュビロ磐田復帰

2020年シーズンより磐田へ復帰[9]。第2節の京都戦よりスタメンで出場し、第11節の大宮戦でプロ初ゴールを挙げた[10]。本職のボランチではなくCBとしてレギュラーの座を掴み[11] リーグ戦37試合に出場し、その内36試合はフル出場したが、チームは1年でのJ1昇格は叶わなかった。

2021年はスタートにつまずいたものの、J2の首位争いにわって入った磐田で、前半戦はCB及び左WBで主力としてプレーした。

VfBシュトゥットガルト

2021年6月23日、VfBシュトゥットガルトへの期限付き移籍が発表された[12]。伊藤を見つけたのは、かつてボルシア・ドルトムントでJ2時代の香川真司をスカウトしたスヴェン・ミスリンタートである[13]。8月7日、DFBポカール1回戦のベルリナーFCディナモ戦で移籍後初出場を果たした[14]。8月28日、第3節のSCフライブルク戦でリーグ戦初出場を果たした[15]。11月26日、第13節の1.FSVマインツ05戦で移籍後初ゴールを決めた[16]。加入当初はBチームに入る予定だったが、12月にはレギュラーとして活躍し、11月の「ルーキー・オブ・ザ・マンス」[17] や「今季リーグデビューベスト11」に選出される[18] など、市場価値が半年で推定移籍金の8倍近くに上がった[19]。その後もレギュラーに定着し、最終的にリーグ戦29試合に出場。最終節の1.FCケルン戦では、後半アディショナルタイムにコーナーキックからのボールを頭で逸らし遠藤航の決勝点をアシスト、チームの逆転での残留に貢献した。

2022年5月20日、シュトゥットガルトへの完全移籍が発表され、同年7月1日から2025年6月30日までの契約を結んだ[20][21]

FCバイエルン・ミュンヘン

2024年6月14日、FCバイエルン・ミュンヘンに完全移籍することが発表された[22][23][24]。契約期間は2028年6月30日までの4年間となる[23]。7月29日、親善試合で中足骨を骨折し、チームを離脱した。

2025年2月12日、欧州CLの決勝トーナメント進出を懸けたプレーオフ・ファーストレグのセルティック戦で移籍後初出場を果たし、敵地で2-1の勝利に貢献した。日本人選手の欧州CL出場はこれで35人目となった[25]。2月16日、ブンデスリーガ第22節の2位レヴァークーゼンとの6ポイントマッチにて左サイドバックで移籍後初先発を果たした。2月23日、ブンデスリーガ第23節のフランクフルト戦でも先発出場し、移籍後初ゴールをマークして4-0の大勝に貢献した[26][27][28][29]。しかし、3月に再び中足骨を骨折してしまい、24-25シーズン中の復帰が絶望的となった[30]。伊藤はそのままシーズンを終えることとなったが、チームはリーグ1位で34度目の優勝を決めた。ブンデスリーガで日本人選手の所属チームが優勝したのは奥寺康彦大久保嘉人長谷部誠香川真司に次いで5人目となった。ホーム最終戦の後に行われた優勝セレモニーでは、伊藤も参加して優勝プレートを掲げた[31]

日本代表

東京オリンピックを目指す日本代表に招集され、AFC U-23選手権に参加し、その後ドバイカップに招集されたものの、それ以降は招集されることもなく2020年東京オリンピックの招集メンバーに入ることはできなかった。 2022年5月20日、6月の代表選に向けたメンバー発表で日本代表に初招集された[32]。6月2日に行われたパラグアイ戦でA代表デビューを果たした[33]

同年11月1日、2022カタールW杯に臨む日本代表に選出された[34]。シュトゥットガルトでの活躍や中山雄太の離脱から左SBでの起用も予想されたが[35]、大会を通してベテランの長友佑都がレギュラーとして活躍。伊藤もGL第2戦のコスタリカ戦で途中出場からW杯デビューを果たすも、敵陣でのバックパスなどで消極的ともとれるプレーが目立ち、チームも敗れたため批判の的となってしまった。これに対し元日本代表の本田圭佑が「選手ってのはコーチング次第で1流にも2流にもなりえる」と擁護する事態にもなった[36]。チームは突破が難しいとされていたグループリーグを突破してベスト16進出した中、伊藤はそのコスタリカ戦のみの出場のW杯となった。

2023年6月20日、パナソニックスタジアム吹田にて行われたペルー代表戦で左SBとしてスタメン出場し、前半22分に遠藤航のアシストから強烈なミドルシュートを決めて代表初ゴールを記録した。

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プライベート

2021年6月23日、一般女性と入籍した[37]。なお、子供が1人いる

小学校3年生時に右眉や右睫毛が白くなる「白斑」を発症。当初は病院へ通院し治療を行っていたが、途中で治療を中止し現在まで白いままである。

所属クラブ

個人成績

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  • 2017年 2種登録選手
さらに見る 国際大会個人成績, 年度 ...

出場歴

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代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 21試合 1得点(2022年 - )
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...

出場

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ゴール

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タイトル

クラブ 

FCバイエルン・ミュンヘン

脚注

関連項目

外部リンク

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