トップQs
タイムライン
チャット
視点

保護国

ウィキペディアから

Remove ads

保護国(ほごこく、フランス語: protectorat英語: protectorate)とは、条約に基づき、主権の一部を代行させることによってその国から保護を受ける国のこと[1]。保護される国家を被保護国・受保護国、保護を与える国を保護国と定義する場合もある[1]

内容は保護国と被保護国間の条約によって定められるが、一般的には制限的に解釈され、保護国が処理する案件であると明示されていなければ原則として被保護国に権限が残される。具体的には対外的権能の一部の行使を保護国に認めるものが多かった[1]。保護関係は力に差がある国家間に設定されるケースが大半で、被保護国に押し付けられる形で条約締結されることが多かった[1]。また対象となる地域に国家が存在しない場合は「保護領」とも呼ばれるが、英語フランス語などでは特に区別されない。

付庸国(従属国)という概念も存在するが、これは一国内の一部の地域がその国の国内法によって独立的地位が認められつつ、本国との従属関係が残されているものをいい、国際法を根拠とする保護国とは異なる[1][2]

Remove ads

歴史

保護関係の概念はかなり古く、共和政ローマの政治家マルクス・トゥッリウス・キケロの著書『義務について』にすでに現れている。この中でキケロは元老院はローマの支配者ではなく、全世界の「patrocinium」(保護者)であるとしている。ローマは多数の属領や属邦を持っており、キケロはこの関係を定義したものと見られている[3]。似たような関係としては皇帝ナポレオン・ボナパルトライン同盟諸国君主の関係が指摘されている。ナポレオンは「君主達には宗主はいない」と宣言し、従属関係ではないことをアピールした[3]

日本において保護国の概念が紹介されたのは『万国公法』が最初である。万国公法においては「自治」と「自主」を区別しており、他国の命令を聞かざるを得ない国として「半主の国」という概念を紹介している[4]。半主の国の例としてはポーランドのクラクフ共和国イオニア海イオニア諸島合衆国があげられているが、前者は「保護」を受けるとしながらも、完全なる自主に近いとしている[4]。いわゆる保護と言っても程度の差があり、保護国だからと言って主権がないとは限らない[5]。これらの概念は大国が小国を、先進民族が未開民族を保護するという意味があり、宗主国が弱小国家や国家不在の地を後見するという性質があった[6]

フランシス・ゲラル(François Gairal)は保護関係を宗主国が内政に立ち入らず、恩恵として行う「単純保護(Sauvegarde)」と、上級国家が下級国家を指導し、完全な従属関係にある「国際法による保護関係」、そして文明国が未開地に対して行う「植民地的保護関係」の三つに分類した[7]。ゲラルは当時のいわゆる保護国が「国際法による保護関係」であるとし、「植民地的保護関係」については慣例で「保護」の語が用いられているに過ぎないとした[8]。エド・エンゲラルト(Ed Engelhardt)は1896年の著書『古代と現代の保護国』において強国が小国を支配する方便に過ぎないと批判した[9]。この論は弱者が強者に保護を依頼することが保護関係の正当な根拠であるという批判を受けた[10]

1906年、有賀長雄はゲラルの論をふまえた『保護国論』において保護国を4つの類型に分類した。これに対して立作太郎は甲と乙の二つの真性保護国に分ける分類を主張し、論争となった。有賀は独立国である保護国は存在できるとし、立は外交権が完全ではない保護国は独立国ではないと反論した[11]田中慎一は立の反論に理があると判定している[12]

Remove ads

保護国の一覧

要約
視点

アルゼンチン

  • 連邦同盟(1815年 - 1820年)
  • チリ(1817年 - 1818年)
  • トゥクマン共和国(1820年 - 1821年)
  • ペルー(1820年 - 1822年)
  • Gobierno del Cerrito(1843年 - 1851年)
  • パラグアイの旗 パラグアイ(1876年)

ブラジル

イギリス

アメリカ

ヨーロッパ

南アジア

西アジア・中央アジア

アフリカ

事実上

オセアニア

東南アジア

中国

オランダ

オランダ領東インドのスルタン国[28][29][30]

スマトラ

  • タルモン王国(1830年 - 1946年)
  • ランガット王国(1869年10月26日 - 1945年12月)
  • デリ王国(1862年8月22日 - 1945年12月)
  • アサハン王国(1865年9月27日 - 1945年12月)
  • ビラ(1864年 - 1946年)
  • タシク(コタ・ピナン)(1865年 - 1945年12月)
  • シアク王国(1858年2月1日 - 1946年)
  • スンガイ・タラス(カンポン・ラジャ)(1864年 - 1916年)
  • パネイ(1864年 - 1946年)
  • セルダン王国(1865年 - 1945年12月)
  • インドラギリ王国(1838年 - 1945年9月)
  • ジャンビ王国(1833年 - 1899年)
  • クアラ(1886年 - 1946年)
  • ペララワン(1859年 - 1945年11月)
  • シアンタール(1904年 - 1946年)
  • タナー・ジャワ(1904年 - 1946年)

リアウ諸島

  • リアウ・リンガ王国(1819年 - 1911年)

ジャワ

  • バンテン王国(1682年 - 1811年)
  • チルボン(1684年 - 1819年)
  • ジョグジャカルタ王国(1755年2月13日 - 1942年)
  • マタラム王国スラカルタ王国の前身)(1677年2月26日 - 1945年8月19日)
  • マンクヌガラン公国(1757年2月24日 - 1946年)
  • パクアラマン公国(1812年6月22日 - 1942年)
  • スマラン(1682年 - 1809年)

バリ

ロンボク

  • ロンボク(1843年 - 1894年)
  • スンバワ(1908年 - 1948年頃)
  • ビマ(1669年12月8日 - 1949年)
  • ドンプ(1905年 - 1942年)

フロレス、ソロール

  • ララントゥカ(1860年 - 1904年)
  • Tanah Kuna Lima(1917年 - 1924年)
  • Ndona(1917年 - 1924年)
  • シッカ(1879年 - 1947年頃)

ボルネオ

  • バンジャルマシン(1787年 - 1860年)
  • ポンティアナック王国(1819年8月16日 - 1942年)
  • サンバス王国(1819年 - 1949年)
  • クブ(1823年6月4日 - 1949年)
  • ランダック(1819年 - 1949年頃)
  • メンパワ王国(1819年 - 1942年)
  • サンガウ王国(182? - 1949年)
  • セカダウ(182? - 1949年)
  • シムパン(1822年 - 1949年頃)
  • シンタン(1822年 - 1949年)
  • スカダナ(1828年 - 1949年頃)
  • コタ・ワリンギン王国(1824年 - 1949年)
  • クタイ・ケルタナガラ王国(1825年8月8日 - 1949年)
  • グヌン・タブール(1844年 - 1945年頃)
  • ブルンガン王国(1844年 - 1949年頃)
  • Simbaliung(1844年 - 1949年頃)
  • タヤン(1823年 - 1949年頃)

セレベス

  • ゴワ王国(1669年 - 1906年、1936年 - 1949年)
  • ボネ王国(1669年 - 1905年)
  • ボラアン・モゴンドウ(1825年 - 1949年頃)
  • Laiwui(1858年 - 1949年)
  • ルウ王国(1861年 - 1949年頃)
  • ソップン(1860年 - 1949年頃)
  • ブトン(1824年 - 1949年頃)
  • シアウ(1680年 - 1949年頃)
  • バンガイ(1907年 - 1949年頃)
  • Tallo(1668年 - 1780年)
  • ワジョ(1860年 - 1949年頃)
  • Tabukan(1677年 - 1949年頃)

Ajattappareng連合(1905年 - 1949年頃)

  • マルセタシ
  • ラパン
  • Swaito(union of Sawito and Alita, 1908年)
  • シデンレン・ラパン
  • スパ

Mabbatupappeng Confederacy (1906–c. 1949)

  • Barru
  • Soppengriaja (union of Balusu, Kiru, Kamiri, 1906)
  • Tanette

Mandar Confederacy (1906–c. 1949)

  • Balangnipa
  • Binuang
  • Cenrana
  • Majene
  • Mamuju
  • Pambauang
  • Tapalang

Massenrempulu Confederacy (1905–c. 1949)

  • Allah
  • Batulapa
  • Bontobatu
  • Enrekang
  • Kasa
  • Maiwa
  • Malua

モルッカ諸島

  • テルナテ王国(1676年10月12日 - 1949年)
  • Bacan Sultanate(1667年 - 1949年)
  • ティドレ王国(1657年 - 1949年頃)

西ティモール

  • Amanatun (1749–c. 1949)
  • Amanuban (1749–c. 1949)
  • Amarasi (1749–c. 1949)
  • Amfoan (1683–c. 1949)
  • Beboki (1756–c. 1949)
  • Belu (1756–c.1949)
  • Insana (1756–c.1949)
  • Sonbai Besar (1756–1906)
  • Sonbai Kecil (1659–1917)
  • Roti (Korbafo before 1928) (c. 1750–c.1949)
  • TaEbenu (1688–1917)

ニューギニア

フランス

アフリカ

アメリカ

アジア

ヨーロッパ

オセアニア

ドイツ

第一次世界大戦中、ドイツ帝国はその統治階級にかかわらず植民地を保護領(ドイツ語: Schutzgebiet)と呼称していた。

第二次世界大戦の前後、ナチス・ドイツチェコスロバキアデンマークを保護領とした。

インド

イタリア

日本

ポーランド

ポルトガル

ロシア帝国・ソビエト連邦

事実上

事実上のロシアの保護国。

スペイン

トルコ・オスマン帝国

事実上

国際連合

アメリカ合衆国

事実上

  • ネグロス共和国(1899年 - 1901年)[43]
  • サンボアンガ共和国(1899年 - 1903年)
  • スールー王国(1899年 - 1915年)

現在の「保護領」

環境保護庁のようなアメリカ合衆国政府機関の中には、コロンビア特別区や、アメリカ領サモアアメリカ領ヴァージン諸島のような米国の島嶼地域を「保護領」と呼ぶところもあるが、これらの地域の管理を担当する機関であるアメリカ合衆国内務省の島嶼地域局(OIA)は、保護領ではなく「島嶼地域」という用語のみを使用している。

共同統治


Remove ads

現行の一覧

現代では保護国・宗主国という関係を明確にしている国家はないが、経済的な理由で国防を周辺の大国に委任するミニ国家は多い。またレンティア国家が資源の枯渇により破綻した場合、関係の深い国が事実上の宗主国となるケースもある。

ナウルは資源の枯渇により経済的に破綻して以降、オーストラリアニュージーランド、日本からの援助に大きく依存しており、特に国防を代行し、ナウル国民に市民権を与えるとしたオーストラリアの影響力が大きく、事実上オーストラリアの保護国状態である。

現存する類似形態の国家

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads