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全国戦没者追悼式

毎年8月15日に行われる、日本国政府主催の第二次世界大戦日本人戦没者追悼式 ウィキペディアから

全国戦没者追悼式
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全国戦没者追悼式(ぜんこくせんぼつしゃついとうしき、: Memorial Ceremony for the War Dead)は、日本国政府の主催で、第二次世界大戦日本人戦没者に対して宗教的に中立な形で行われる追悼1965年(昭和40年)以降は、東京都千代田区日本武道館で毎年8月15日終戦の日)に行われている。

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第63回全国戦没者追悼式
2023年8月15日日本武道館

第1回の追悼式は、1952年昭和27年)5月2日新宿御苑で実施された[1]

概説

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参列者による黙祷
2023年8月15日
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天皇徳仁おことば
2023年8月15日

全国戦没者追悼式は1952年(昭和27年)4月8日の閣議決定(第3次吉田第3次改造内閣吉田茂首相)により、同年5月2日[注 1]新宿御苑昭和天皇香淳皇后の出御のもとで行われたのが最初である[2]。これは独立回復後、国のあらゆる行事に優先して全国戦没者追悼式を行うとしたためである[3]

第2回は1959年(昭和34年)3月28日にやや変則的に実施され、その後1963年(昭和38年)に日比谷公会堂8月15日に、1964年(昭和39年)には靖国神社で8月15日に開催。翌1965年(昭和40年)から東京都千代田区日本武道館で8月15日に行われるようになり、現在に至っている。

追悼の対象は「第二次世界大戦日中戦争/支那事変太平洋戦争/大東亜戦争)で戦死した旧日本軍軍人軍属約230万人」と、「空襲原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人」の、「日本人戦没者計約310万人」である。

式典は政府主催で、事務は厚生労働省(旧・厚生省社会・援護局が行う。

式典には天皇皇后が出御し、三権の長である内閣総理大臣衆議院議長参議院議長最高裁判所長官、各政党代表[注 2][注 3]、及び地方公共団体代表(都道府県知事都道府県議会議長など)が参列する。

また、日本遺族会等関係団体の代表者(日本遺族会会長、各都道府県遺族代表)、経済団体(日本商工会議所会頭)、労働団体(日本労働組合総連合会会長)、報道機関の代表者(日本新聞協会会長)、日本学術会議会長、日本宗教連盟理事長、日本戦没者遺骨収集推進協会会長などを招くほか、一般戦災死没者遺族、原子爆弾死没者遺族らを国費で参列させている。

式典開始は午前11時51分(以下日本時間)、所要時間は約1時間である。式典にあたり武道館には祭壇が設置され日本の国旗とともに「全国戦没者之霊」と書かれた白木檜柱が置かれる。また天皇皇后が臨席するため祭壇の両端には儀礼服を着用し拳銃を携行した皇宮護衛官2名が警戒に当たる。正午前に参列者全員が起立し、時報を合図に1分間の黙祷をささげる。

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式次第

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天皇明仁皇后美智子の臨席の下、式辞を読む内閣総理大臣福田康夫
2008年(平成20年)8月15日
  1. 開式
  2. 天皇皇后両陛下御臨場
  3. 国歌斉唱
  4. 式辞 内閣総理大臣
  5. 黙祷(1分間)
  6. 天皇陛下のおことば
  7. 追悼の辞 衆議院議長参議院議長最高裁判所長官、戦没者遺族代表(1名)
  8. 天皇皇后両陛下御退場
  9. 献花(この間奏楽)
  10. 閉式

根拠規定

要約
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1952年(昭和27年)4月8日閣議決定された(第3次吉田第3次改造内閣吉田茂首相)「全国戦没者追悼式の実施に関する件」は、以下の通り。

全国戦没者追悼式の実施に関する件

昭和27年4月8日 閣議決定

平和条約の発効による独立に際し、国をあげて戦没者を追悼するため左記により式典を実施する。

一 政府主催で、五月二日新宿御苑において、両陛下の御臨席を仰いで、全国戦没者追悼式を行う。

二 本式典の戦没者の範囲は、支那事変以降の戦争に因る死没者(戦災死者等を含み、軍人軍属に限らない。)とする。

三 本式典は、宗教的儀式を伴わないものとする。

四 本式典中の一定の時刻において、全国民が一せいに黙とうするよう勧奨する。

五 本式典には、全国から遺族代表を参列させる。

なお、参列に要する経費に対し、一定額の旅費を国より補助する。

備考

各都道府県及び各市町村においては、その実状に応じ、それぞれ適当な時期において戦没者追悼の式典を行うよう勧奨する。

1963年(昭和38年)5月14日に閣議決定された(第2次池田第2次改造内閣池田勇人首相)「全国戦没者追悼式の実施に関する件」は以下の通り。

全国戦没者追悼式の実施に関する件

昭和38年5月14日 閣議決定

今次の大戦における全戦没者に対し、国をあげて追悼の誠を捧げるため、次により式典を実施する。

一 政府主催で、昭和三八年八月十五日日比谷公会堂において、天皇、皇后両陛下の御臨席を仰いで、全国戦没者追悼式を実施する。

二 本式典の戦没者の範囲は、支那事変以降の戦争による死没者(軍人、軍属及び準軍属のほか、外地において非命にたおれた者、内地における戦災死没者等をも含むものとする。)とする。

三 本式典は、宗教的儀式を伴わないものとする。

四 式典当日は、官衙等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨する。

また、本式典中の一定時刻において、全国民が一せいに黙とうするよう勧奨する。

五 本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。

1982年(昭和57年)4月13日に閣議決定された(鈴木善幸改造内閣鈴木善幸首相)「『戦没者を追悼し平和を祈念する日』について・全国戦没者追悼式の実施について」は、以下の通り。

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について

昭和57年4月13日
閣議決定

1 趣旨

  先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を設ける。

2  期日

  毎年8月15日とする。

3  行事

  政府は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、昭和38年以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する。

全国戦没者追悼式の実施について

1 全国戦没者追悼式は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日、日本武道館において実施する。

2 本式典における戦没者の範囲及び式典の形式は、昭和56年の式典と同様とする。

3 本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。

4 式典当日は、官等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうするよう勧奨する。

歴史

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1952年(昭和27年)5月2日
第1回全国戦没者追悼式(新宿御苑
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中継

NHKは、総合テレビ(1963年以降[16])、ラジオ第1、国際放送のNHKワールドTVNHKワールド・ラジオ日本で11:50から「天皇陛下のお言葉」まで中継、12:05に終了[注 4]NHK BS(旧BS1)は、2014年以降、「天皇皇后両陛下御退場」の12:25まで放送する[17]

NHKは式典に「NHK時計」で技術協力を行っており、会場で流される正午の時報(黙祷の合図)を提供している。時報は2012年(平成24年)3月11日東日本大震災一周年追悼式でも使用され、発生時刻の14時46分に時報を流し、黙祷の合図を行った。

民放では、全てのテレビ局で式典の中継はせず、定時ニュースでの録画放送や会場前からの生中継のみに留まる。ただし、戦後80年となる2025年(令和7年)はフジテレビ系列FNN)が特別番組を編成し生中継した[18]。地上波以外ではニュース専門チャンネル日テレNEWS24TBS NEWS)での放送や、インターネット動画配信プラットフォーム(TBS NEWS Youtubeチャンネル YouTubeLive、FNNオンライン(Periscope、Youtubeチャンネル YouTubeLive)、AbemaNewsAbemaTV))で動画生配信を行っている。

2010年代からはニコニコ生放送公式による生配信とTHE PAGEのYouTube生配信が行われている。2020年からは前述のとおり、厚生労働省の公式YouTubeチャンネルが生配信を実施している。

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その他

戦争犯罪人
政府は「連合国による極東国際軍事裁判(東京裁判)によって戦争犯罪人として裁かれ、死刑判決を受けたいわゆるA級戦犯B・C級戦犯が全国戦没者追悼式の戦没者の対象となるかどうか」について明確にしていない。戦犯遺族にも招待状が出されているが、これは各47都道府県に参列遺族の選定を委ねた結果としている。小泉純一郎が首相在任当時、靖国神社に参拝し続けたことに対して批判的な菅直人坂口力厚生労働大臣(旧・厚生大臣)の時も戦犯を対象外とする決議や声明は出されていない。これに関しては靖国神社が戦犯を顕彰の対象としていることを問題視しているのであり、戦犯を追悼することは問題視していないためとされる。
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追悼の辞を述べる衆議院副議長海江田万里(議長細田博之の代読)
2023年8月15日
衆議院議長の欠席
2005年(平成17年)には8月8日衆議院解散郵政解散)し、三権の長の1人である衆議院議長が全国戦没者追悼式を欠席する異例の事態となった。同様の事態は2009年(平成21年)にも起きた(7月21日衆議院解散、8月30日総選挙のため(政権選択解散・追い込まれ解散))。2023年(令和5年)は衆議院議長の細田博之が体調不良のため欠席し、追悼の辞は衆議院副議長の海江田万里が代読した[19]
最高裁判所長官の欠席
2024年(令和6年)8月10日に最高裁判所長官の戸倉三郎が定年退官し、三権の長の1人が欠席したため、長官代理として最高裁判所判事の深山卓也が出席し、追悼の辞を述べた。
式次第の変更
1998年(平成10年)までは天皇・皇后が厚生大臣[注 5]の先導により臨場する際に、国歌「君が代」が演奏された。1999年(平成11年)の国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)施行後は天皇・皇后の臨場後、君が代を斉唱することになった。
いわゆる戦争責任論への言及
2006年(平成18年)には河野洋平衆議院議長が追悼の辞で「戦争を主導した当時の指導者たちの責任をあいまいにしてはならない」と異例の戦争責任論に言及した。
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脚注

関連項目

外部リンク

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