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全日本学生柔道連盟

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全日本学生柔道連盟
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一般社団法人全日本学生柔道連盟(ぜんにほんがくせいじゅうどうれんめい、英語: All Japan University Judo Federetion)は、学生柔道の普及及び振興と優れた資質を持った指導者の養成を通じて、学生の心身の健全な発達とわが国スポーツ界の発展に寄与することを目的に1996年3月22日付けで文部大臣より社団法人設立認可を受けた日本の大学柔道の国内競技連盟である。全日本柔道連盟大学スポーツ協会(UNIVAS)に加盟している。略称学柔連。一時期日本学生柔道連盟に改称[2]

概要 団体種類, 設立 ...
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概要

1951年10月2日付けで、全日本学生柔道連盟が118校の加盟をもって発足。一時、全日本柔道連盟(全柔連)から脱退、2016年にカラー柔道着を導入、女性差別という意見もある女子の白線入り黒帯を除外するなど全柔連とは独自性を出している。9つある地域別の学生柔道連盟から構成されている全国団体として組織されている連盟である。

沿革

  • 1951年10月2日、全日本学生柔道連盟結成[2]
  • 1953年5月6日、全日本柔道連盟(全柔連)に加盟[2]
  • 1983年までに日本武道館に入居。
  • 1983年1月5日~6日、日本武道館にて学柔連主催第1回正力松太郎杯国際学生柔道大会開催。全柔連とのトラブルが表面化する。
  • 1983年1月25日、「柔道界の改革のため」として、全柔連から脱退[2]
  • 1983年9月21日、全柔連傘下で親講道館派で学生柔道界少数派の対抗団体全日本大学柔道連盟が設立される。筑波大学などが学柔連を脱退し、同団体へ[2]
  • 1987年11月17日、IJF会長選挙で全柔連が推すサルキス・カルグリアン(アルゼンチン)がIJF会長兼学柔連会長の松前重義および学柔連が推すフランス柔道連盟前会長のジョルジュ・ファイファー[3]に勝利[4]。IJFを味方につけた全柔連は攻勢にかかる。
  • 1987年11月30日、全柔連臨時評議員会が国際柔道連盟(IJF)理事会決定「IJFは全柔連に加盟していない日本国内のいかなる団体も承認しない」に基づき、学柔連への要求「全日本大学柔道連盟との統合、団体名称を日本学生柔道連盟に改称、全柔連への加盟」三項目の決定。全柔連サイトは11月3日だとしている[2]
  • 1988年5月25日、学柔連が三項目を合意[2]
  • 1988年6月25日~26日、日本武道館にて日本学生柔道連盟統一記念第37回全日本学生柔道優勝大会開催[2]
  • 1996年3月22日、文部省が日本学生柔道連盟の社団法人化を許可。名称を「全日本学生柔道連盟」に戻す[2]
  • 2004年までに講道館に転居[5]
  • 2016年、日本国内においても全日本学生柔道優勝大会を始めとした主催大会でカラー柔道着を導入[6]。また、女子は白線入り黒帯でなく、男子と同様の黒帯が用いられることになった[7]
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運営大会

加盟連盟

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関連項目

脚注

外部リンク

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