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内田靖人
日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
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内田 靖人(うちだ やすひと、1995年5月30日 - )は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入り前

小学校2年時に、常磐軟式野球スポーツ少年団で野球を始めた。中学生時代に所属していたいわき松風クラブでは、4番打者として、園部聡とともにクリーンアップを任されていた。
中学校卒業後に、茨城県の常総学院高校へ進学。捕手として硬式野球部へ入部したが、1年時の春からベンチ入りを果たすと、打撃を買われて対外試合に三塁手として出場することが多かった。2年時の夏に、「3番・三塁手」として第94回全国高等学校野球選手権大会に出場。桐光学園高校との2回戦で松井裕樹から2安打を放ったが、チームは松井から19三振を奪われた末に敗れた。2年時の秋には、右大腿部の肉離れに見舞われながらも、主将・一塁手・4番打者として茨城県秋季大会に出場。チームを県大会の優勝と秋季関東大会への準決勝進出に導いた。3年時の春には、「4番・捕手」として第85回記念選抜高等学校野球大会に出場。大竹耕太郎擁する済々黌高校との初戦で2安打を放ったものの、チームは完封負けを喫した。3年夏の全国高等学校野球選手権茨城大会では、大会タイ記録の4本塁打を記録。霞ヶ浦高等学校との決勝でサヨナラ本塁打を放つと、続く第95回全国高等学校野球選手権大会でも、北照高校との1回戦で3点本塁打を放ってチームの勝利に貢献した。上林誠知擁する仙台育英高校との2回戦には、捕手として出場。座ったままで二塁に牽制球を投げるなど、強肩を披露した。福井商業高校との3回戦でも長谷川凌汰から本塁打を放ったが、準々決勝で髙橋光成擁する前橋育英に逆転負けを喫した。甲子園球場の全国大会では、通算で打率.345(29打数10安打)、2本塁打を記録。3年時秋の第26回AAA世界野球選手権大会では、日本代表の「4番・指名打者」としてチームの準優勝に貢献した。
2013年のNPBドラフト会議で、捕手として東北楽天ゴールデンイーグルスから2巡目で指名[1]。契約金6000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した[2]。入団当初の背番号は8[3]。
楽天時代
2014年、捕手登録だったが、「シーズンを通じて二軍で経験を積ませる」という二軍監督の大久保博元の方針で、春季キャンプから三塁手に専念[注 1]。イースタン・リーグ公式戦では、開幕戦から7試合連続安打を記録した[4]。シーズン終盤に一軍に登録されると、10月4日の対オリックス・バファローズ戦(楽天koboスタジアム宮城)で、一軍公式戦での初安打を放った[5]。
2015年、春季キャンプ直前の1月21日に、ポジション登録を捕手から内野手へ正式に変更した[6]。シーズン中には、イースタン・リーグ公式戦での通算打率が.194にとどまるほど低調で、一軍公式戦への出場機会はなかった。シーズン終了後のみやざきフェニックス・リーグでは、5本塁打を記録[7]。シーズン終了後に、千葉ロッテマリーンズから国内FA権の行使により移籍してきた今江敏晃が、移籍前と同じく背番号8を着用したことにより、背番号を36へ変更した[8]。
2016年、公式戦の開幕を二軍で迎えたが、イースタン・リーグ公式戦で序盤から好調を維持すると、6月9日の対東京ヤクルトスワローズ戦(koboスタ宮城)で2年ぶりに一軍公式戦へ出場。「7番・三塁手」としてスタメンで起用されると、2安打と一軍公式戦初打点を記録した[9]。さらに、6月16日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では、田原誠次から一軍公式戦初本塁打を放った。一軍公式戦での通算本塁打は2本にとどまったが、イースタン・リーグ公式戦ではチーム2位の13本を記録した。
2017年、レギュラーシーズンの終盤に一軍へ昇格すると、代打やスタメンで公式戦6試合に起用されたが、シーズン初打席から20打席目までは無安打(9三振)と不振。一軍のレギュラーシーズン最終戦であった10月10日の対ロッテ戦(koboパーク宮城)で、ゼラス・ウィーラーに代わって途中から三塁の守備に就くと、その後の打席で一軍公式戦唯一の安打を放った。イースタン・リーグ公式戦には109試合に出場。打率.234ながら、18本塁打、66打点という好成績で、イースタン・リーグの本塁打王・打点王のタイトルを受賞した。
2018年、主に一塁手としてオープン戦16試合に出場すると、NPB全12球団の規定打席到達者で単独1位の打率.386と、チームトップの4本塁打という好成績を記録。プロ入り後初めての開幕一軍入りを果たした[10]。3月30日には、千葉ロッテマリーンズとのレギュラーシーズン開幕戦(ZOZOマリンスタジアム)で、「6番・一塁手」としてスタメンに起用。以降も一軍公式戦2試合に出場したが、打撃フォームを崩した影響で通算9打数無安打と振るわず、4月5日付で出場選手登録を抹消された[11]。5月5日付で再び登録される[12]と、一軍公式戦でのシーズン18打席目に当たる5月13日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)8回裏の第4打席で、シーズン初安打を一軍公式戦2年ぶりの本塁打で記録[13]。さらに3本の本塁打を放ったが、打率が2割前後にとどまり、セ・パ交流戦期間中の6月に再び登録を抹消された。8月末の再々登録以降は、一軍公式戦のスタメンに再び定着。9月以降7本の本塁打を放った結果、通算12本塁打でシーズンを終えた。楽天の高卒入団選手および、チーム生え抜きの右打者が一軍公式戦でシーズン2桁本塁打を達成した事例は、この年の内田が初めてである。
2019年、春季キャンプから一軍に帯同したが、前年好調だったオープン戦で打率.227、0本塁打と振るわず、レギュラーシーズンの大半を二軍で過ごした。5月に左太腿の裏を痛め、一時は戦線離脱をしたが、二軍のイースタン・リーグ初優勝に貢献した。シーズン最終盤の9月22日に一軍へ復帰した[14]。同リーグの公式戦には100試合の出場で、規定打席へ2年ぶりに到達。チームトップ(リーグ4位タイ)の14本塁打、リーグ10位の打率.258を記録。10月5日には、ソフトバンクとのファーム日本選手権(サンマリンスタジアム宮崎)に「7番・三塁手」としてスタメンで出場した[15]。シーズン終了後には、この年に西武から国内FA権の行使によって移籍した浅村栄斗の誘いを受けて、浅村の自主トレーニングに初めて参加した[16][17]。
2020年、春季キャンプから一軍に帯同すると、14試合に出場したオープン戦で打率.333、4打点、得点圏打率.375という好成績を記録。新型コロナウイルスへの感染拡大に伴うチームの活動休止期間をはさんでも好調を維持したこと[16]から、2年ぶりの開幕一軍入りを果たした[18]。開幕後は、前年に二軍を率いていた新監督の三木肇の下で、一塁手としてスタメンに随時起用[19]。7月19日の対西武戦(楽天生命パーク)7回裏の第4打席では、この年の公式戦初登板から10登板試合連続で1本の本塁打も許していなかった平良海馬から、一軍公式戦では自身初となる満塁本塁打を放った[17]。
社会人時代
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選手としての特徴・人物
思い切りの良いスイングと長打力が魅力の和製大砲[23][24][25]。
愛称は「ウッチー」、「ヤス」、「ゴリラ」[26]。「ゴリラ」と呼ばれると「誰がゴリラや」とツッコミを入れるのがお決まりとなっている[26]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 2022年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2022年度シーズン終了時
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2014年9月18日、対千葉ロッテマリーンズ24回戦(楽天koboスタジアム宮城)、8番・三塁手で先発出場
- 初打席:同上、2回裏に木村優太から空振り三振
- 初安打:2014年10月4日、対オリックス・バファローズ23回戦(楽天koboスタジアム宮城)、4回裏に松葉貴大から三塁内野安打
- 初打点:2016年6月9日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(楽天koboスタジアム宮城)、6回裏に松岡健一から左前適時打
- 初本塁打:2016年6月16日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、5回表に田原誠次から左越ソロ
- 初盗塁:2020年7月8日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡PayPayドーム)、8回裏に二盗(投手:古谷優人、捕手:九鬼隆平)
背番号
- 8(2014年 - 2015年)
- 36(2016年 - 2021年)
- 67(2022年)
- 66(2023年 - 2024年)
登場曲
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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