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円福寺 (岡崎市)
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円福寺 (えんぷくじ)は、愛知県岡崎市岩津町字檀ノ上85番地にある浄土宗西山深草派の大本山。もとは妙心寺として、松平親則の居城・岩津妙心寺城跡に築かれた。1883年(明治16年)に京都の円福寺と寺号交換した[1]。
歴史
岩津妙心寺城時代
寺院としての展開
1461年(寛正2年) 、親則の早世後、親則及び信光室真浄院の菩提のため岩津妙心寺城跡に妙心寺を建立[2][1][3]。開山は信光の従兄・教然良頓(松平泰親の長子)[4]。1464年(寛正5年) に教然良頓が没し、妙心寺に埋葬された[3]。
妙心寺はもともと西方寺の末寺であったが、西方寺が僻地にあったため、1518年(永正15年)に松平信忠の命で[3]、妙心寺が本寺となった[3]。また三河三檀林の一つとして僧侶養成を担ったが[5]、西方寺も看護寺として妙心寺の管理などを担った[3]。
近代以降
京都の円福寺はもともと山城国紀伊郡深草村にあったが、1864年(元治元年)に戦火で焼けるなどし[6]、さらに明治維新後には寺領の大半が没収された[5]。その後、再建を図ったが敷地が狭隘で再建することができなかったため[6]、1883年(明治16年)に寺号交換し、妙心寺が円福寺となった[7]。その際本尊などは京都の円福寺と交換し、建物や境内は旧妙心寺のものをそのまま引き継いだ[2][7]。2002年(平成14年)に大改修がなされ、落慶法要が行われた[7]。
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伽藍と遺構
現存する建造物、立木

岩津妙心寺城
文化財
墓所
宗教的意義
関連項目
脚注
外部リンク
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