トップQs
タイムライン
チャット
視点
加茂名地区
ウィキペディアから
Remove ads
加茂名地区(かもなちく)は、徳島市の行政上の地区である。徳島市の西部に位置する。
地理
徳島市西部、鮎喰川右岸(南東岸)に広がり、古くは鮎喰川の氾濫原だった吉野川デルタの一部を占める。さらに、眉山北西麓を経て分水嶺まで広がる。
東西に平行して走る、北の県道30号と南の国道192号沿線と、蔵本駅周辺が商業地で(鮎喰駅周辺はあまり商業化していない)、他は住宅地である。
自然
町と人口
人口は徳島市による推計[1](2011年6月)。3世帯以下の丁目・小字の人口は各町の人口から除外されている(地区計には計上されている)。
町境と一致しない地区境のうち、北矢三町内を通る地区境は、加茂町編入前の旧市町村境とほぼ一致している。しかし、佐古・南佐古内を通る地区境は、加茂名町編入前の旧市町村境とは大きく異なる。
隣接地区
国府地区・不動地区とは鮎喰川を介して接しており、橋で結ばれている。八万地区・上八万地区とは眉山山中で接している。加茂地区・佐古地区とは市街が連続している。
Remove ads
歴史
名の由来
加茂郷
加茂郷は平安時代にこの地区または周辺にあった郷で、その正確は位置については諸説あるが、『大日本地名辞書』は加茂地区から加茂名地区にかけてとする。考古学からは、「加毛」と書かれた平安時代の墨書土器が庄町から出土したことから、加茂名地区・佐古地区(庄町・蔵本町・佐古)とする説が有力である[3]。
加茂名町・加茂名村
→詳細は「加茂名町」を参照
1889年10月1日、町村制施行により加茂名村(1915年11月10日より加茂名町)が成立した。
現在の加茂名地区のほぼ全域を含んだが、徳島市との市町村境は、現在の佐古地区との地区境とかなり異なった。現在の佐古六番町~八番町のそれぞれ一部と南佐古六番町~八番町が、加茂名町だった。一方、佐古八番町のうち加茂名地区に含まれるエリアの一部(八番町6番の一部)は、加茂名町ではなく、徳島市佐古町だった[4][5]。
年表
旧村・旧大字との対応
市町村制以前の町村、市町村制下(加茂名町編入前)の市町村・旧大字、加茂名町編入直後の町、現在の町。
Remove ads
交通


鉄道路線
道路
施設
教育機関
- 大学
- 徳島大学蔵本キャンパス
- 高等学校
- 中学校
- 小学校
- 幼稚園
- 徳島市加茂名幼稚園
- 徳島市加茂名南幼稚園
- 専門学校
- 廃校
公共施設
病院
名所
社寺・史跡
出典
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads