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千秋町浅野羽根
愛知県一宮市の地名 ウィキペディアから
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千秋町浅野羽根(ちあきちょう あさのはね)は、愛知県一宮市の地名。
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地理
一宮市南東部に位置する[1]。西は浅野、南は丹陽町重吉、北は南小渕に接する[1]。集落は愛知県道149号浅野羽根岩倉線の南側に所在し、北側に県営住宅が所在している[1]。
字一覧
- 現行字についての五十音順で配列している。読みはYahoo地図による[WEB 5]。昭和30年当時の字は『千秋村史』23頁、明治15年当時の字は『愛知県地名収攬』182頁による。
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歴史
地名の由来
沿革
- 中世 - 羽禰村として所在[3]。
- 天正末期 - 織田信雄の家臣揖斐与右衛門の知行地が所在した[4]。
- 江戸時代 - 尾張藩小牧代官所支配の村として所在[5]。
- 1889年(明治22年)10月 - 町村制実施に伴い、町屋村・小山村・塩尻村と合併し、豊富村大字浅野羽根となる[2][3]。
- 1893年(明治26年)頃 - 小山に設置された小山巡査駐在所の管内に編入される[6]。
- 1906年(明治39年) - 浮野村・青木村・豊富村・幼村(一部)の合併により、千秋村大字浅野羽根となる[2][3]。
- 1906年(明治39年)頃 - 西成村浅野駐在所の管内に編入される[6]。
- 1941年(昭和16年)頃 - 佐野駐在所の千秋南部駐在所への改称に伴い、同駐在所の管内に編入される[6]。
- 1955年(昭和30年)4月 - 一宮市編入に伴い、同市千秋町浅野羽根となる[3]。
- 1977年(昭和52年) - 一部が平島に編入される[7]。
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世帯数と人口
2019年(平成31年)4月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
人口の変遷
『徇行記』古口 | 446人 | [8] | |
『徇行記』今口 | 476人 | [8] | |
1950年(昭和10年) | 560人 | [9] | |
1955年(昭和30年) | 614人 | [9] | |
2005年(平成17年) | 1,600人 | [WEB 6] | |
2010年(平成22年) | 1,778人 | [WEB 7] |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 8]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 9]。
交通
鉄道
道路
施設
- 字羽々矢2725番地に鎮座[10]。創建は不明であるが、文安2年8月勧請[10]。加納城新築の際、その地にあった羽々矢天王宮を、斉藤左衛門藤原朝臣利水が、尾張国丹羽郡羽根里羽知郷に遷したのが当地におけるはじまりとされる[10]。寛永11年、加納城主松平丹波守が磐城平藩移封に際して、鎗1筋・太刀1振・鉄灯篭1台を寄付し、現在の字羽々矢に遷座した[11]。明治3年11月、羽々矢社と改称[10]。1924年(大正13年)4月改築し、境内社(天照大神を祀る神明社・事勝國勝長狭神を祀る六所社)を合祀した[10]。1983年(昭和58年)、本殿などを修復した[12]。社格は村社[10]。素戔嗚尊を祀る[10]。祭礼は毎年10月25日[10]。
- 真宗大谷派寺西山円林寺[13](圓林寺)北緯35度17分23.6秒 東経136度50分23.3秒
- 字羽々矢2689番地に所在[13]。本尊は阿弥陀如来[13]。創立は天文2年2月で、浄徳律師の開基による[13]。当初は教順寺もしくは円持寺と称していたというが、のち改称[13]。江戸時代には知多郡大野村光明寺の末寺となっていた[13]。
- 愛知県営羽根住宅[1]北緯35度17分31.5秒 東経136度50分37.8秒
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人物
- 中村谷蔵 - 大工棟梁[14]。
その他
日本郵便
脚注
参考文献
外部リンク
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