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南有馬町

日本の長崎県南高来郡にあった町・合併により、南島原市 ウィキペディアから

南有馬町map
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南有馬町(みなみありまちょう)は、長崎県島原半島にあった南高来郡に属した。

概要 みなみありまちょう 南有馬町, 廃止日 ...

2006年3月31日、周辺7町と対等合併し、南島原市となり消滅した。

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地理

島原半島の南部に位置し、南岸を島原湾に接する。

  • 山:北條岳(鳳上岳)
  • 河川:有馬川、田町川、菖蒲田川、深谷川、権現川、露田川、六反田川、葉山川
  • 溜池:大池

隣接市町村

歴史

1496年明応5年)、有馬貴純が現在の町域に原城を築城し、以後戦国時代から江戸時代初期にかけて、町名の由来ともなっている有馬氏による統治が行われる。キリシタン大名である有馬義貞とその子有馬晴信の時代にキリスト教信者が増加したが、晴信の子有馬直純は幕府の命により棄教し、キリスト教を迫害。1614年慶長19年)に有馬氏は転封し松倉重政松倉勝家による圧政が行われる。また一国一城令により原城は廃城となり放棄された。1637年寛永14年)に勃発した島原の乱の際、一揆軍は放置されていた原城跡に籠城し抵抗を行ったが、幕府軍に鎮圧された。

島原の乱までは有馬村1村であったが、乱後に南有馬村・北有馬村の2村に分かれた[1]。また、島原藩を統治し復興に取り組んだ高力忠房の政策により、1642年(寛永19年)より現在の町域に小豆島などから島民が移住してきたといわれている。

近現代

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地域

地名

を行政区域とする。南有馬町は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。(発足当初は南有馬村)

なお、南有馬町では名の名称を十干に置き換えて表記する。

  • 甲 / 吉川名
  • 乙 / 大江名
  • 丙 / 白木野名
  • 丁 / 浦田名
  • 戊 / 北岡名
  • 己 / 古園名[3]

行政

  • 町長: 松尾義博

町章

  • 公募によって決められた。「ミナミ」を左がきに3組に読めるように円形に描き、「十」は原城十字架を表している[4][5][6]

教育

高等学校

中学校

小学校

交通

空港

町内に空港はない。最寄り空港は長崎空港

鉄道

バス路線

一般路線バス

  • 島原鉄道バス

道路

一般国道


名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • 原城跡(国の史跡[8]
  • 吉川キリシタン墓碑[9]
  • 西望公園・西望記念館
  • 原城温泉「真砂」(温泉施設)
  • 古野いこいの広場
  • 棚田(日本の棚田100選)

姉妹都市・提携都市

国内

南有馬町出身の著名人

参考文献

脚注

関連項目

外部リンク

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