トップQs
タイムライン
チャット
視点
吉田町 (新潟県)
日本の新潟県西蒲原郡にあった町 ウィキペディアから
Remove ads
吉田町(よしだまち)は、新潟県西蒲原郡に存在した町。2006年3月20日、(旧)燕市、分水町と合併し燕市となり消滅した。

隣の燕と同様、金属加工が盛んな工業立町。越後線と弥彦線が交わる交通の要衝でもある。(旧)燕市への通勤率は14.1%・新潟市への通勤率は11.6%(いずれも平成17年国勢調査)。
Remove ads
地理
越後平野の中央部、下越地方南端に位置しており、町域には平坦地が広がる。近世には河川舟運により栄えた町であり[3]、南北に流れる西川沿いに古くからの市街地が伸びる。
- 河川:西川
隣接していた自治体
歴史

- 1837年(天保 8年)7月 - 米納津隕石が落下。
- 1962年(昭和37年)2月 - 町内で赤痢の集団発生。443人が真正赤痢、1784人が保菌者と確認された。原因は水道水源付近の汚物による汚染[4]。
- 1963年(昭和38年)1月 - 三八豪雪により積雪228 cmを観測[5]。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い西蒲原郡吉田村、松岡新田村、野沖村古新田、宮小路村、本所村が合併し、吉田村(よしだむら)が発足。
- 1901年(明治34年)11月1日 - 西蒲原郡太花野村(一部)、鴻ノ巣村(一部)と合併して、吉田村を新設。
- 1924年(大正13年)1月1日 - 町制施行し吉田町となる。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 西蒲原郡弥彦村の矢作、浜首地区を編入。
- 1954年(昭和29年)11月3日 - 西蒲原郡米納津村、粟生津村と合併し、吉田町を新設。
- 1957年(昭和32年)7月15日 - 西蒲原郡分水町の溝、溝古新を編入。
- 1958年(昭和33年)8月1日 - 燕市と境界の一部を変更。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 西蒲原郡岩室村の本町を編入。
- 1963年(昭和38年)
- 4月1日 - 西蒲原郡巻町と境界の一部を変更。
- 11月1日 - 西蒲原郡弥彦村と境界の一部を変更。
- 1964年(昭和39年)9月1日 - 西蒲原郡弥彦村と境界の一部を変更。
- 2006年(平成18年)3月20日 - 燕市、分水町と合併し燕市となり消滅した。
市町村合併
Remove ads
行政
- 町長:泉光一
経済
農業
工業
1961年(昭和36年)に東栄町工業団地ができ、その後1971年(昭和46年)に工業立町を宣言[7]。町内に工業団地の造成が進み、合併前時点では7つの工業団地が立地していた[8]。
町内に拠点を置く主な企業
商業

旭町1丁目上町地内では、1・6のつく日に定期市が開催される[9]。
交通
鉄道
道路
バス
教育

高等学校
中学校
- 吉田町立吉田中学校
小学校
- 吉田町立粟生津小学校
- 吉田町立吉田小学校
- 吉田町立吉田北小学校
- 吉田町立吉田南小学校
特別支援学校
- 新潟県立吉田養護学校(新潟県立吉田病院内)
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身有名人
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads