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城後寿
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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城後 寿(じょうご ひさし、1986年4月16日 - )は、福岡県久留米市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アビスパ福岡所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。
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来歴
久留米市立南小学校出身。地元少年サッカークラブ『南FCトータスJr』でサッカーを始める。久留米市立牟田山中学校時代は同校の陸上部に所属。陸上部での練習を終えた後、当時所属するサッカークラブの練習に参加していた。中学生の陸上競技(やり投げ)でジュニアオリンピック4位の記録を持つ[5]。
国見高校時代
国見高校時代の同期に渡邉千真と藤田優人が、1学年上に平山相太、中村北斗、兵藤慎剛、関憲太郎がいる。2年時には2003年度の全国高校サッカー選手権を制覇。3年時には主力として出場しベスト4。2回戦の鹿島学園戦ではハットトリックを達成している[6]。また、インターハイでは2連覇(2003、2004年度)を経験した。
アビスパ福岡時代
国見高校卒業後の2005年にアビスパ福岡に加入。プロ入り2年目の2006年から徐々に出場機会を得るようになった。
2009年の天皇杯2回戦・愛媛FC戦で左膝前十字靱帯損傷の大怪我を負い、長期間の欠場を余儀なくされるも、翌年の復帰後からは大久保哲哉と2トップを組み、再び主力として活躍。9月12日に行われたジェフユナイテッド千葉との直接対決では後半43分に勝ち越しゴールを決め、クラブを昇格圏内の3位に浮上させた。
J1に昇格した2011年は、第10節[7] の横浜F・マリノス戦で2得点を挙げて以降、一時的に調子を崩したが、第20節の川崎フロンターレ戦で2得点を挙げて逆転勝利に貢献してからは調子を上げていく。最終的にチームは降格するも、岡本英也(8得点)に次ぐチーム2位の7得点を挙げた。
再びJ2降格した2012年は18位と低迷した福岡にあって、41試合に出場しチーム最多の12ゴールを記録。サンフレッチェ広島を含む複数クラブから獲得オファーを受けるもこれを固辞し残留した。
2015年はキャプテンに就任した。
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エピソード
2013年6月1日のJ2第17節ロアッソ熊本戦で、GK水谷雄一が負傷するアクシデントが発生。その時点で交代枠を使い切っていた為、城後が水谷のGKユニフォームを着用し、ゴールキーパーとしてプレーを行った[9]。
シシーニョが日本でのプレーを熱望した理由の一つに城後の名前を挙げており、FC岐阜との対戦では交流する様子も見られた[10]。
2016年4月16日の名古屋グランパス戦では、同日が本人の誕生日という事にちなみ、『キング城後デー』と銘打っての試合開催予定であったが、熊本地震の影響により延期となった。その後6月2日に振り替えられた代替試合においてイベントを実施した[11]。
所属クラブ
- 南FCトータスJr.
- ヴァレンティアFC
- 長崎県立国見高等学校
- 2005年 -
アビスパ福岡
個人成績
その他の公式戦
- 2006年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2015年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- 2017年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
出場歴
- 公式戦初出場 - 2005年10月9日 天皇杯3回戦 vs佐川印刷SC(大阪市長居第2陸上競技場)
- Jリーグ初出場 - 2006年4月2日 J1第6節 vs京都パープルサンガ(京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)
- Jリーグ初得点 - 2006年4月29日 J1第10節 vs鹿島アントラーズ(茨城県立カシマサッカースタジアム)
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代表歴
- U-20日本代表(2005年)
- U-21日本代表(2006年)
タイトル
クラブ
アビスパ福岡
脚注
関連項目
外部リンク
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