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堤俊輔

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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堤 俊輔(つつみ しゅんすけ、1987年6月8日 - )は、埼玉県新座市出身の元プロサッカー選手JFA登録仲介人。現役時代のポジションは左サイドバックセンターバック

概要 堤 俊輔, 名前 ...
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来歴

要約
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中学生・高校生年代では、浦和レッズジュニアユース、ユースに所属。ユース時代にはキャプテンを務めた。2005年8月2種登録選手としてトップチームに登録され[1]、以後のトップチームへの帯同を経て、翌2006年西澤代志也小池純輝とともにトップチームに昇格した[2]。なお、宇賀神友弥もユース時代の同期である。

2006年はU-19代表に招集され、AFCユース選手権に出場したものの、浦和では公式戦で使われるどころかサブにも入れない日が続いた。その後天皇杯でベンチ入りし、優勝の瞬間を間近に見ることができた。翌2007年シーズン、トップでの試合経験がないことを理由にU-20ワールドカップメンバー入りを逃したが、同時期に行われたA3カップ山東魯能戦で公式戦初出場。また、ナビスコカップ1回戦G大阪戦で国内戦デビューを果たした。

2008年ホルガー・オジェックからゲルト・エンゲルスへの監督交代後のJ1第3節・新潟戦でリーグ戦初出場すると、チームのリーグ戦初勝利に貢献し、坪井慶介に変わりレギュラーに定着。

同年5月1日大原サッカー場近くで自動車を運転中にバイクと接触事故を起こした。双方とも怪我はなかったが、チームではオジェック、内舘秀樹に続いて3件目であり、チームから厳重注意処分を受けた。[要出典]

2008年シーズン終盤、トレーニング中に左ひざ前十字じん帯断裂の重傷を負い、シーズン終了後に手術を受けた。フォルカー・フィンケから「堤がいるので補強を見送った」と言われるほど[3] 左サイドバックとして高い期待を受けたものの、新しい靭帯が上手く適合せず再手術となってしまい、2009年シーズン中の復帰は絶望的と言われていたが、10月下旬よりトレーニングに部分合流。11月からはほぼ全てのトレーニングに合流し、練習試合にも出場できるまで回復した。

2010年2月20日に行われたプレシーズンマッチ、対徳島戦で左サイドバックとして先発出場。久々に実戦復帰を果たし、シーズン開始後はリーグ戦とカップ戦、それぞれ1試合に出場。しかし、長期離脱した影響で試合勘が戻っておらず低調なパフォーマンスに終始し、[要出典]その後は出場機会に恵まれず、同年6月よりロアッソ熊本期限付き移籍した[4]。熊本では移籍直後からDF市村篤司の故障もあり、主力選手として活躍し、熊本の上位進出に貢献した。

シーズン終了後の2010年12月8日2011年から浦和へ復帰することが発表された[5]。だが2011年は1試合に出場することもなく、7月14日栃木SCへ期限付き移籍することが発表されたが[6][7]、同年12月2日、栃木との期限付き移籍期間満了及び所属先である浦和から契約満了に伴い来シーズンの契約を更新しないことが発表された。

2012年より、アビスパ福岡へ完全移籍。移籍初年度の2012年は、調子の波があり本来の実力を発揮できなかったが、[要出典]2013年は開幕戦となる第1節の東京V戦(味の素ス)でスターティングメンバ―に起用されると、その後も主力選手として完全に定着。第13節の横浜FC戦(ニッパツ三ッ沢)では、決勝点となるプロ入り初ゴールを決めている。

2018年シーズン終了後、契約満了により退団[8]。同年12月12日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[9]

2019年、鹿児島ユナイテッドFCに加入。センターバックとして33試合に出場するがチームは21位でJ3降格となり、シーズン終了後契約満了で退団[10]、翌2020年1月22日に引退を発表[11]

現役引退後はSARCLE所属の代理人に転身した[12]

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エピソード

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
  • 2005年 2種登録選手としての公式戦出場は無し

その他の公式戦

さらに見る 国際大会個人成績, 年度 ...

その他の国際公式戦

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代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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