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多々良敦斗
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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多々良 敦斗(たたら あつと、1987年6月23日 - )は、静岡県出身のサッカー選手。仙台市クラブリーグ・LaBOLA仙台所属。ポジションはDF。青森県社会人サッカーリーグ・LIDEAL Aomori代表。
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来歴
清水東高校では後の日本代表の内田篤人と同級生。高校卒業後、東海学生リーグの強豪校である静岡産業大学に進学。後のチームメイトとなる村山智彦らと共に、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントの準優勝(2007年)、ベスト4(2009年)などに貢献した。
2010年、JFLの松本山雅FCに加入。加入初年度からコンスタントに出場機会を得た。2011年には主力としてJ2昇格に貢献。天皇杯3回戦のアルビレックス新潟戦では、前半5分のコーナーキックに頭で合わせて値千金の先制点を叩き込み、ジャイアントキリングの立役者となった。このゴールが「天皇杯を象徴するゴール」であるとしてSURUGA I DREAM Awardに選ばれた。
J2に昇格した2012年は、3バックの一角として全試合に先発フル出場を果たした。連続フル出場記録は2013年4月17日のガンバ大阪戦まで続いて51試合、連続出場記録は2014年4月5日のコンサドーレ札幌戦まで続いて90試合を記録した。
2015年1月6日、ベガルタ仙台に完全移籍することが発表された[1][2]。
2015年12月30日、ジェフユナイテッド市原・千葉への完全移籍が発表された[3]。2016年シーズンは右サイドバック、翌2017年シーズンはセンターバックで主にプレーした。2017年12月5日、千葉を契約満了となったことが発表された[4]。2017年12月28日にロアッソ熊本へ移籍することが発表された[5]。
2018年シーズンは怪我の影響で出番は限られた。持ち前のキック精度を活かすシーンは少なく、 同シーズン限りで契約満了となり退団[6]。 同年12月13日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[7]。
2022年6月20日に契約解除し、FCマルヤス岡崎を退団[9]。 7月11日、ラインメール青森へ加入することが発表された[10]。
2023年シーズン終了後、ラインメール青森を退団[11]。
2024年、ブランデュー弘前FCへ加入した[12]。
同年限りでブランデュー弘前FCを退団し、新たに弘前市をホームタウンとしてJリーグ加盟を目指すクラブ「LIDEAL Aomori」を結成、2025年より青森県社会人サッカーリーグに参入予定[13]。選手としては仙台市クラブリーグ所属のLaBOLA仙台でテクニカルアドバイザー兼任として活動する。
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所属クラブ
- 静岡市立東豊田小学校
- 静岡市立東豊田中学校
- キューズFC(現ロプタ静岡)
- 静岡県立清水東高等学校
- 2006年 - 2009年 静岡産業大学
- 2010年 - 2014年
松本山雅FC
- 2015年
ベガルタ仙台
- 2016年 - 2017年
ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2018年
ロアッソ熊本
- 2019年 - 2022年6月
FCマルヤス岡崎
- 2022年7月 - 2023年
ラインメール青森
- 2024年 -
ブランデュー弘前FC
個人成績
脚注
関連項目
外部リンク
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