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大宮清
日本の野球選手 (1916-1944) ウィキペディアから
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大宮 清(おおみや きよし、1916年 - 1944年)は、愛知県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、捕手。
来歴・人物
一宮中学(現・愛知県立一宮高等学校)、中央大学、鉄道省を経て1939年4月10日に名古屋金鯱軍へ投手として入団[2]。5月20日の名古屋軍での完投勝利(9回1失点)がプロ初勝利となった[5]。金鯱はこの試合までに15連敗を喫しており、もし敗れれば1936年に大東京がマークした16連敗の記録に並ぶ所であったため殊勲の星となった。しかし、自身の制球難(与四球の数が奪三振のほぼ倍)とチームの低迷[6]により成績が伸び悩み、2年目の1940年からは捕手としての出場が増えた。
1940年7月13日の阪急戦(後楽園球場)を最後に現役引退。その後応召し、1944年7月21日ニューギニア島サルミにて戦死した。
プロ野球選手として実績を残しているにもかかわらず、鎮魂の碑(東京ドーム敷地内にある)に銘記されていなかったため、野球殿堂博物館内にある戦没野球人モニュメントに彼の名が刻まれていたが、2015年、戦没が確認された他の4選手とともに新たに鎮魂の碑に名前が加えられた。
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詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
背番号
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脚注
関連項目
外部リンク
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