トップQs
タイムライン
チャット
視点
国立印刷局
公的な印刷を行う日本の独立行政法人 ウィキペディアから
Remove ads
独立行政法人国立印刷局(こくりついんさつきょく、英語: National Printing Bureau)は、紙幣・切手・旅券・郵便貯金通帳・証券類・政府刊行物等の公的な印刷を主に行う日本の独立行政法人である。
東京都港区虎ノ門に本局を置き、全国に6つの工場(東京、王子、小田原、静岡、彦根、岡山)を運営している。行政執行法人(旧・特定独立行政法人)であるため、職員の身分は国家公務員である。
Remove ads
沿革

- 1869年(明治元年/明治2年) - 長崎製鉄所の本木昌造によって「活版伝習所」が作られたのが起源で、その後本木は長崎製鉄所を離れ新街私塾に移るが、長崎製鉄所に残った組が工部省に引き継がれ「勧工寮」と称した。
- 1871年(明治4年) - 大蔵省「紙幣司」が創設。その後、「勧工寮」を合併し「紙幣寮」と改称。
- 1872年(明治5年) - 初代紙幣頭(現在の理事長に当たる)に渋沢栄一が就任。同年、太政官正院「印書局」が創設。
- 1875年(明治8年) - 太政官正院「印書局」が大蔵省「紙幣寮」に合併される。なお、当時政府の印刷工場が紙幣を印刷し、国立銀行に発行機能を持たせるとする構想から、紙幣寮から印刷局の初期にかけては銀行の監督業務も職掌としていた。
- 1877年(明治10年) - 大蔵省「紙幣局」に改称。
- 1878年(明治11年) - 大蔵省「印刷局」に改称(この時に銀行業務を分離)。初代局長に得能良介。
- 1898年(明治31年) - 内閣の「官報局」と統合され、内閣所管の「印刷局」となる。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災で大手町の紙幣印刷工場や王子の抄紙部が被災。
- 1943年(昭和18年) - 再度大蔵省に所管が戻り大蔵省「印刷局」になる。
- 1945年(昭和20年) - 空襲によって大手町の本局庁舎と大手町工場が焼失。
- 1946年(昭和21年) - 市ヶ谷に本局と工場を移転(2010年(平成22年)まで国立印刷局市ヶ谷センターがあった[3])。
- 1949年(昭和24年) - 大蔵省の外局である「印刷庁」となる(長は長官)。
- 1952年(昭和27年) - 大蔵省の付属機関である「印刷局」となる。
- 1962年(昭和37年) - 虎ノ門に本局・工場が完成。
- 1984年(昭和59年) - 国家行政組織法の改正により、位置づけが、大蔵省の特別の機関となる。
- 2001年(平成13年) - 中央省庁再編により財務省の特別の機関となる。
- 2003年(平成15年) - 独立行政法人「国立印刷局」へ改編。
- 2010年(平成22年)度 - 大手町敷地、市ヶ谷センター及び久我山運動場を国庫納付[4]。
- 2014年(平成26年)
- 2025年(令和7年)
Remove ads
業務内容
国立印刷局は、紙幣・切手・印紙・旅券・郵便貯金通帳・証券類・政府刊行物などの印刷を主な業務とし、印刷部門が担当している。その他に、製紙部門、出版部門、研究開発部門などがある。製紙部門では紙幣・切手・印紙・旅券などに使用する各種用紙の製造を行っており、出版部門では、官報・法令全書・白書などの政府刊行物の編集や製造を行っている。また、研究開発部門では、偽造防止技術などの研究開発を行っている。デザイン専門の工芸官は、主に紙幣のデザインにあたっている。 また、付属施設として国立印刷局東京病院の運営も行っていたが、2013年(平成25年)4月に社会医療法人社団正志会へ移譲された[7]。
- 工芸官
- 工芸官
歴代局長・理事長等
Remove ads
工場見学


東京工場(北区)、小田原工場、静岡工場(静岡市)、彦根工場の見学があらかじめの申し込み後できるようになっている[8]。
桜並木一般公開
1941年(昭和16年)に設立された神奈川県小田原工場にはソメイヨシノをはじめとする桜が500本植えられていて、4月初旬の土日に一般公開の「観桜会」が催される[9]。
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads