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奥田建
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奥田 建(おくだ けん、1959年〈昭和34年〉1月16日 - 2021年〈令和3年〉6月22日)は、日本の政治家。
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来歴
石川県金沢市生まれ。金沢市立菊川小学校、金沢市立城南中学校、石川県立金沢泉丘高等学校、日本大学理工学部卒業。大林組を経て、1987年に治山社に入社。1990年同社取締役、1997年同社専務取締役[1]。1998年、父の奥田敬和が第18回参議院議員通常選挙の直後に死去。衆議院石川1区補欠選挙に民主党公認で出馬し初当選。2000年の第42回衆議院議員総選挙では自由民主党公認の馳浩に石川1区で敗れ、重複立候補していた比例北陸信越ブロックで復活当選。2003年の第43回衆議院議員総選挙では自民党の馳浩を破り石川1区で当選(馳も比例復活)。2005年の第44回衆議院議員総選挙では石川1区で馳浩に敗れ、比例復活もならず落選した。2009年の第45回衆議院議員総選挙では石川1区で馳浩を破り4年ぶり返り咲き(馳も比例復活)。2010年6月、安住淳衆議院安全保障委員長の民主党選挙対策委員長就任に伴い、後任の衆議院安全保障委員長に就任。同年9月、衆議院法務委員長に就任。2011年野田内閣で国土交通副大臣に任命され、野田第1次改造内閣、野田第2次改造内閣でも留任。2012年の第46回衆議院議員総選挙では民主党公認、国民新党推薦で石川1区に立候補したが馳に敗れ、比例復活もならず落選。2013年10月、次回衆議院選挙に出馬しないことを表明した[2][3]。
2021年6月22日朝、金沢市内の自宅の書斎で倒れていたところを発見され、急性心筋梗塞のため死亡が確認された[4][5]。62歳没。死没日をもって正四位に叙され、旭日重光章を追贈される[6]。
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人物
政策
- 永住外国人への地方選挙権付与にどちらかといえば賛成[7]。
- 選択的夫婦別姓制度の導入に賛同する[8]。
選挙歴
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所属していた団体・議員連盟
- ホームエンタテイメント議員連盟(副会長)
脚注
関連項目
外部リンク
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