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安井亀和
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安井 亀和(やすい かめかず、1920年1月18日 - 1998年10月2日)は、和歌山県出身の元プロ野球選手。ポジションは二塁手。1954年からの登録名は安井 直史(やすい なおふみ)。
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来歴・人物
海南中学校から明治大学を経て、1943年に南海軍へ入団。1944年に召集され、1946年に復帰。同年の89得点は白石敏男(1939年、73得点)を超える日本記録(1948年に笠原和夫が更新)。1950年に大洋ホエールズへ移籍し、1954年は高橋ユニオンズへ移籍。1956年を最後に現役を引退した。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 南海(南海軍)は、1944年途中に近畿日本(近畿日本軍)に、1946年にグレートリングに、1947年途中に南海(南海ホークス)に球団名を変更
- 大洋(大洋ホエールズ)は、1953年に洋松(大洋松竹ロビンス)に球団名を変更
- 高橋(高橋ユニオンズ)は、1955年にトンボ(トンボユニオンズ)に球団名を変更
背番号
- 11 (1943年、1946年 - 1948年)
- 4 (1949年)
- 7 (1950年 - 1953年)
- 1 (1954年)
- 41 (1955年)
- 50 (1956年)
登録名
- 安井 亀和 (やすい かめかず、1943年 - 1953年)
- 安井 直史 (やすい なおし、1954年 - 1956年)
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関連項目
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