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宮崎正弘
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宮崎 正弘(みやざき まさひろ、1946年〈昭和21年〉7月19日[1] - )は、日本の国際政治評論家、作家、ジャーナリスト。
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経歴
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金沢市立十一屋町小学校、金沢市立野田中学校、石川県立金沢二水高等学校卒業[3]。早稲田大学教育学部英語英文学科除籍[3]。早大在学中は日本学生同盟に所属し「日本学生新聞」編集長を務めた。
雑誌「浪漫」企画室長を経て、貿易会社を経営。1982年、講談社から「もうひとつの資源戦争」を刊行し、論壇へデビュー。以降、「日米先端特許戦争」「軍事ロボット戦」「中国、次の10年」「中国大分裂」「人民元大暴落」「中国広東軍、反乱す」「金正日の核弾頭」などの著作がある。「日米安保条約二十年記念セミナー」(日本側代表 岸信介元首相、米側フォード元大統領)では委員会広報を担当、以後「日本安全保障研究センター」(加瀬英明理事長)の事務局長を二年ほど兼務。
この間、キッシンジャー元国務長官、レイ・クライン元CIA次官らを招いての日米安保シンポジウムなどを開催した。1983年夏、米国教育局の招待でクレアモント研究所に1ヶ月遊学。1984年にはニクソン米国元大統領と単独会見し、同大統領の「リアルピース」を翻訳・刊行した。また、同年出版した『アメリカ先端ビジネスの深謀』では日本で最も早い時期に、ドナルド・トランプのビジネスを紹介した。前後に、ペンタゴンペーパーや米議会|でのレフチェンコ証言録、第五世代のハイテク報告など翻訳も多く手がけた。またラジオ日本、ラジオ短波で週三回ほど番組を担当(後者は毎週土曜早朝にロスのマネー局と二元中継だった(一部英語))。
ソビエト連邦の崩壊までの数年は米国、ソ連関係の著作が多く、ベルリンの壁崩壊前後は合計十回ほど、ロシア各地、バルト三国、東欧諸国を取材し『ソ連の没落』『新生ドイツの大乱』。イスラエルのラビ外相に単独インタビュー、イラクの「アラブ平和会議」にも招かれ『湾岸戦争の嘘と真実』『テロリズムと世界宗教戦争』などを発表した。
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人物
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暴力的な活動は是とせず、純粋に思想を平和的に推進する思想・理論保守。三島由紀夫や同じく三島が主宰していた楯の会の森田必勝との交流があり、三島没後は毎年重遠社主催の憂国忌の代表役員を務める。三島由紀夫研究では『三島由紀夫「以後」』『三島由紀夫はなぜ日本回帰したのか』『三島由紀夫の現場』の三部作がある。
活動・主張
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講演
講演は日本全国のほか、韓国、台湾でも行っている。また時事通信社の内外情勢調査会講師としては全国200支部のほとんどを巡回。産経新聞の「産経懇話会」でも各地の講演に呼ばれた。
台湾との関係
日華断交直後の1972年12月に初めて台湾に訪れる[4]。台湾を訪れた理由は、「台湾との断交に立腹したから」としており、田中・大平外交による非情な外交[信頼性要検証]に「人間として許せないものを感じた」と述べている[4]。1973年の夏には、自民党の親台湾・親蔣介石派議員の訪台団に随行記者団の幹事として同行し国民党関係者と交流、直後に会社を立ち上げ主に中華民国(台湾)と貿易を行う[4]。日本における中国共産党批判を展開し、結果として蔣介石政権の反中共プロパガンダの一翼を担う。その後、台湾の民主化が進むにつれ、台湾独立派の視点から論陣を張るようになる。
1999年には台湾総統李登輝、竹村健一と共同会見。以後、何回か李総統単独インタビューのため訪台した。台湾の主要選挙はすべて取材しており、陳水扁再選直前の銃撃事件では『週刊新潮」にルポを書いたり、馬英九の初当選のときは現場から中継し、2010年の五大市長選挙でも活動した。2012年の馬英九再選では選挙中と直後に二回取材、また2008年には馬英九との単独会見記を週刊朝日に掲載した。
宮崎が台湾独立派に同調する過渡期の2001年、雑誌『正論』誌上で繰り広げられた台湾独立派をめぐる西尾幹二VS小林よしのりの論争で、宮崎は「台湾庶民のホンネはどこにあるか」(2001年5月号)を寄稿しているが、この論文で、蔣介石の圧制は薄々気付いていたと書きつつ、蔣介石の圧制を受け入れる台湾人の“小心翼々とした「小島根性」”、台湾人の親日は蔣介石の圧制との比較から生じた“屈折した親日”について記述している。また、1970年代後半〜1980年代中国大陸から台湾に亡命した中国人へのインタビューでは亡命者が国民党の監視者の顔色をうかがいながら宮崎に答えていたことについて“実際には当時の台湾はなにを喋ろうが自由だった”[5]とする記述がある。
なお宮崎は、独裁時代の台湾取材は国民党しか窓口はなかったことに触れつつ、当時は反共という立場から台湾(蔣介石一族の国民党政権)を支援していたが、同時に台湾独立を支援していたと主張している[6]。
出演
TV
ラジオ
著書
単著
共著
- 池東旭
- 『兄弟だから許せない 日韓激辛対談』(1994.8. 学陽書房)
- 『誰も言わない日韓・日朝ホンネとタテマエ』(1997.10. 総合法令出版)
- 黄文雄
- 『世界が仰天する中国人の野蛮』(2008.3. 徳間書店)
- 石平
- 『絶望の大国、中国の真実 日本人は、中国人のことを何も分かっていない!』(2009.5. ワック)
- 『増長し、無限に乱れる「欲望大国」中国のいま』(2010.1. ワック)
- 『中国社会の崩壊が始まった! 2013年の「中国」を予測する』(2012.9. ワック)
- 『習近平の断末魔の叫びが聞こえる 2013年後期の中国を予測する』(2013.4. ワック)
- 『2014年の「中国」を予測する』(2013.12. ワック)
- 『2015年 中国の真実-中国は習近平に潰される』(2014.9. ワック)
- 西部邁
- 『日米安保50年』(2010.1. 海竜社)
- 佐藤優
- 『猛毒国家に囲まれた日本 ロシア・中国・北朝鮮』(2010.3. 海竜社)
- 川口マーン惠美
- 『なぜ、中国人とドイツ人は馬が合うのか?』(2014.4. ワック)
- 室谷克実
- 『仲良く自滅する中国と韓国:暴走と崩壊が止まらない!』(2014.6. 徳間書店)
- 『日本に惨敗しついに終わる中国と韓国』(2015.5 徳間書店)
- 『悪あがきを繰り返し突然死の危機に陥る中国と韓国』(2016.1 徳間書店)
- 大竹愼一
- 『中国崩壊で日本はこうなる』(2015.1 李白社)
- 小川榮太郎
- 『保守の原点-「保守」が日本を救う』(2015.2 海竜社)
- 渡邉哲也
- 『激動する世界経済! こうして突破できる日本経済』(2015.5 ワック)
- 河添恵子
- 『中国・中国人の品性』(2017.9 ワック)
編著
- 『二つの山河 日系アメリカ人、かく闘えり』 (1984.3. ダイナミックセラーズ出版)
- 『日本経済新聞の重要記事 金融・景気から国際情勢まで』 (1986.3. 光文社)
- 『シナ人とは何か 内田良平の「支那観」を読む』 (2009.10. 展転社)内田良平研究会共編著
翻訳
- 『日本人に感謝したい アメリカの対日戦略成功の秘密』
- 著:マイケル・アームストロング、1981年6月1日、日新報道
- 『'86年日本は核武装する 日本の経済"力"の時代 ビジネスマンのためのセミナー3』
- 著:マイケル・アームストロング、1981年9月1日、かんき出版
- 『アメリカは最後通牒を突きつけた 通商圧力、そして安保廃棄・米軍撤退 ビジネスマンのためのセミナー4』
- 著:マイケル・アームストロング、1982年3月1日、 かんき出版
- 『ゴールド・マネー ペーパー・マネーは破局に近ずいている』
- 著:マイケル・アームストロング、1982年4月1日、日新報道
- 『アメリカ人のみた徳川家康 日本人の気づかない家康パワーの秘密』
- 著:マイケル・アームストロング、1983年2月1日、日新報道
- 『ソ連軍事戦略の秘密 大韓航空機はなぜ撃墜されたか』
- 著:アメリカ合衆国国防総省、1983年11月1日、ダイナミックセラーズ
- 『ソ連KGBの対日謀略 米国下院特別情報委員会 レフチェンコ証言の全貌』
- 監修:加瀬英明、1983年3月1日、山手書房
- 『ソ連の海洋戦略 赤い艦隊の驚くべき野望』
- 著:ロバート・J.ハンクス、1983年7月、学陽書房
- 『1984年の逆襲 アメリカが仕掛ける日本つぶしの論理』
- 『ソビエト・コネクション』
- 共訳、著:レイ・クライン、ヨーナ・アレキサンダー、1984年9月1日、ダイナミックセラーズ
- 『第五世代ハイテク産業 技術王国・日本の挑戦』
- 共訳:小田健、著:アメリカ合衆国商務省、1984年1月1日、ダイナミックセラーズ
- 『リアル・ピース』
- 著:リチャード・ニクソン、1984年7月1日、ダイナミックセラーズ
- 『ウォールストリート・ジャーナルで読む日本 日本企業と日本人への視線』
寄稿
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脚注
関連項目
外部リンク
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