小林弘記
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
小林 弘記(こばやし ひろき、1977年5月24日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。妻は元タレントの木下優。
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名前 | ||||||
愛称 | コバ[1] | |||||
カタカナ | コバヤシ ヒロキ | |||||
ラテン文字 | KOBAYASHI Hiroki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1977年5月24日(47歳) | |||||
出身地 | 静岡県静岡市[2] | |||||
身長 | 185cm[3] | |||||
体重 | 85kg[3] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK[3] | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1993-1995 | 清水商業高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-2000 | ジュビロ磐田 | 0 | (0) | |||
2000 | → ヴェルディ川崎 (loan) | 0 | (0) | |||
2000-2001 | コンサドーレ札幌 | 3 | (0) | |||
2002 | FC東京 | 0 | (0) | |||
2003-2006 | 湘南ベルマーレ | 79 | (0) | |||
2007-2009 | ロアッソ熊本[4] | 62 | (0) | |||
通算 | 144 | (0) | ||||
代表歴 | ||||||
1995-1997 | 日本 U-18/19/20 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
1993年、清水商業高校に進学。先輩のGK川口能活に叱咤されながらも[5]力を伸ばし、1995年には同期の大石玲、谷池洋平、西川周吾、早川知伸、藤元大輔、松原忠明らと共に高円宮杯3連覇に貢献した[6]。
恵まれた体格と跳躍力から複数クラブのオファーを受けたが、コーチ陣の充実を理由に[1]1996年よりジュビロ磐田に加入。磐田では大神友明が正GKとして定着しており、大神が負傷離脱した1999年以後も出場機会を得られなかったことから、2000年シーズン途中にヴェルディ川崎への期限付き移籍を経て[2]、コンサドーレ札幌へと完全移籍[7]。同年11月5日のJ2第41節サガン鳥栖対札幌においてJリーグ初出場を果たすも[3]、正GK佐藤洋平の壁は厚く、2001年限りで退団。
2002年2月末にFC東京へ移籍[8]。同年の選手編成は1月に発表されていたが[9]、2月になって小澤英明が負傷し[10]、小林の獲得はその穴埋めを図るためのものだった。土肥洋一のバックアッパーとしてベンチ入りを続けていたが[11]、シーズン終盤に小澤が復調したことでベンチからも外れ[12]、1年限りで退団した。
2003年、湘南ベルマーレへ移籍[13]。若手選手を支えるリーダーシップを発揮し[5]、気迫のこもった好セーブで正GKの座を掴んだ[14]。
2007年よりロッソ熊本(2008年よりロアッソ熊本)へ移籍。同年のJFLでは全試合フル出場で奮闘し、2008年からのチームのJリーグ参入(J2昇格)に貢献した[15]。2009年限りで現役を引退[16]。
2010年よりロアッソ熊本のアカデミースタッフ兼アンバサダーに就任し[17][18]地域に根ざした様々な活動を行なっている。2013年現在の所属部署は営業部。一方、DJ Kova(コヴァ)としてスタジアムDJも務めている[18]。また、チームマスコットであるロアッソくんとは、BAZOOKA BROTHERS(バズーカブラザーズ)という名でタッグを結成中である。
2011年5月22日、八代市鏡町「ふる郷(さと) 愛鏡祭」にて開催された畳投げ大会にて、一般男性にエントリー。12メートル43を記録し大会新記録[19] で優勝した[20]。
現役引退後激太りしてしまい、2015年には体重が130kgにまで達してしまったことから、県総合保健センター等の協力を受けてダイエットを開始[21]。半年間のダイエットで30kgの減量に成功した[22]。しかしその後リバウンドしており、2017年現在は123kg程度となっている[23]。
2017年末でロアッソ熊本を退職、それに伴いスタジアムDJからも降板する。退職後はサッカー界から離れる方針[24]。
所属クラブ
- ユース経歴
- 服織サッカースポーツ少年団 (静岡市立服織小学校)[2]
- 静岡市立服織中学校[2]
- 1993年 - 1995年 静岡市立清水商業高等学校
- プロ経歴
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | 磐田 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1997 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1998 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1999 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2000 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||
V川崎 | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |||
札幌 | 30 | J2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |
2001 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2002 | FC東京 | 35 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2003 | 湘南 | 16 | J2 | 21 | 0 | - | 0 | 0 | 21 | 0 | |
2004 | 9 | 0 | - | 0 | 0 | 9 | 0 | ||||
2005 | 39 | 0 | - | 1 | 0 | 40 | 0 | ||||
2006 | 10 | 0 | - | 0 | 0 | 10 | 0 | ||||
2007 | 熊本 | 21 | JFL | 34 | 0 | - | 0 | 0 | 34 | 0 | |
2008 | J2 | 18 | 0 | - | 0 | 0 | 18 | 0 | |||
2009 | 10 | 0 | - | 1 | 0 | 11 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
日本 | J2 | 110 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 112 | 0 | ||
日本 | JFL | 34 | 0 | - | 0 | 0 | 34 | 0 | |||
総通算 | 144 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 146 | 0 |
代表歴
指導者経歴
- 2010年 - ロアッソ熊本アカデミースタッフ兼アンバサダー
関連情報
出演
- 2011年 - 百年旅行 Jリーグのある風景 #69「J1昇格へ向けて -ロアッソ熊本を支える仕掛け人たち-」 (BS日テレ)
脚注
関連項目
外部リンク
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