トップQs
タイムライン
チャット
視点
小林徹弥
日本の騎手、調教助手 (1974-2024) ウィキペディアから
Remove ads
小林 徹弥(こばやし てつや、1974年5月5日 - 2024年6月1日)は、日本中央競馬会 (JRA) の元騎手・元調教助手。
Remove ads
来歴
1993年目野哲也厩舎所属騎手としてデビュー。同期には飯田祐史・伊藤直人・宗像徹や、後に競馬学校世代で史上初の学士騎手となった川合達彦らがいる。
1年目こそひと桁勝利に終わったが、2年目の1994年から途中落馬負傷による長期戦線離脱もあったなか、毎年勝利数を2桁に乗せ関西の中堅騎手として活躍を続ける。
またデビュー年より障害競走にも騎乗し、重賞への出走経験も数回あったが2003年を最後に障害競走への騎乗はない(免許は平地・障害双方を保持していた)。
1994年には短距離馬ニホンピロスタディとのコンビでオープン特別を4勝、その2年後となる1996年、同じニホンピロの冠号馬ニホンピロプリンスにて重賞初勝利を記録している。
2003年6月1日、チャクラで日本ダービーに騎乗(6着)[3]。
2009年9月12日、13日に韓国・ソウル競馬場で実施された第5回韓国馬事会国際騎手招待競走で合計4鞍に騎乗し最終第4戦目で勝利をあげた(総合5位)[4]。
2018年11月21日付けで、山内研二厩舎所属となる[5]。
2019年5月20日付で騎手を引退、千田輝彦厩舎で調教助手となる[6]。
同日、フリータレントの山内菜緒が、小林と前年9月13日に入籍していたことを自身のブログで報告[7]。
2020年6月には長男が誕生している[8]。
2024年6月1日午後11時50分に死去。50歳没。訃報は妻・菜緒のX(旧Twitter)で公表された[9][10]。その時点では菜緒はXの投稿で「大好きなお酒を少し飲みすぎてしまったようです」と発言しており、所属先であった調教師の千田輝彦によれば、死去した当日も普通に朝・昼と作業をこなしており、以前からも調教も普通に行っていて体調の異変を感じさせなかったと取材に答えていた[11]。後に妻の菜緒が雑誌に寄稿した文によれば小林は亡くなった当日の夕方、外出先から帰宅して自室に籠もった後に、ふらりと部屋から出てくるなりバタンと倒れ、そのまま意識不明に陥り、蘇生することなく息を引き取ったとのことである[8]。
Remove ads
騎乗成績
主な騎乗馬
- ニホンピロプリンス(1996年マイラーズカップ)
- ニホンピロジュピタ(1999年エルムステークス)
- グレイスナムラ(2001年京都牝馬ステークス)
- ゲイリーフラッシュ(2002年シルクロードステークス)
- ヤマトマリオン(2008年東海ステークス)
- その他
Remove ads
脚注
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads