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小田裕也
日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
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小田 裕也(おだ ゆうや、1989年11月4日 - )は、熊本県八代市出身[1]の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。右投左打。オリックス・バファローズ所属。
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経歴
要約
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プロ入り前
地元の小中学校を卒業後、九州学院高校、 東洋大学と進んだ[2]。大学4年生の時に東都大学野球リーグで春季に外野手のベストナイン、秋季には2季連続のベストナインと首位打者(打率.360)を獲得した[3][4]。また、6月に行われた第60回全日本大学野球選手権記念大会の決勝戦・慶應義塾戦で福谷浩司からサヨナラ2点本塁打を放った[5]。大学では同級生のチームメイトで鈴木大地、藤岡貴裕がいた。リーグ通算59試合118打数32安打11打点1盗塁、打率.271。
日本生命では1年目から公式戦に出場[6]。第83回都市対抗野球大会では中堅手として2試合に出場し、計3打数無安打で[7]、第38回社会人野球日本選手権大会では3試合に出場し、計10打数6安打1本塁打4打点の成績で[8]、大会優秀選手に選ばれた[9][10]。この大会の1回戦・JR四国戦で社会人初本塁打を放っている[11]。2年目の第84回都市対抗野球大会の1回戦では「1番・中堅手」で先発出場し、4打数無安打で[12]、第39回社会人野球日本選手権大会では2試合に「1番・中堅手」として出場するも、計7打数無安打だった[13]。3年目、第85回都市対抗野球大会の1回戦では「1番・中堅手」で先発出場し、4打数1安打だった[14]。日本生命では同級生のチームメイトに小林誠司、井上晴哉、吉原正平がいた。
2014年10月23日に行われたプロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズに8位指名を受け[15]、契約金2500万円、年俸1000万円(金額は推定)で合意し[16]、入団した。背番号は50[17]。
11月に行われた第40回社会人野球日本選手権大会では4試合に「9番・中堅手」として先発出場し、計14打数5安打1打点だった[18]。
オリックス時代
2015年、春季キャンプでA組(一軍)入り[19]。キャンプ初の対外試合の韓国・KT戦に「9番・左翼手」で先発出場し、3安打3得点2盗塁を記録した[1]。開幕は一軍で迎えたが、出場がないまま3月30日に登録を抹消された[20]。8月5日に出場選手登録され[21]、同日の対千葉ロッテマリーンズ戦において「2番・右翼手」でプロ初出場・初先発出場し、プロ初打席は投手への犠打だった。3回表の第2打席で初安打(右前安打)を放ち[22]、7日の対埼玉西武ライオンズ戦の2回裏には初盗塁(二盗)を記録した[23][24]。11日の対福岡ソフトバンクホークス戦では3安打を放って初猛打賞を記録すると[25][26]、翌12日の対ソフトバンク戦では3回表の第2打席で初本塁打を放った[25][27]。
2016年、4月13日の対北海道日本ハムファイターズ戦において同点の10回裏・二死三塁の場面でプロ初のサヨナラ打を放った[28][29]。7月28日の対ロッテ戦ではサヨナラ犠飛を放ちシーズン2打点目を記録した。この時点でシーズンに記録した安打は前述のサヨナラ打のみであり、打点は2つともサヨナラ勝ちをもたらしたものであった[30]。この年、前年を上回る78試合に出場したが、代走や守備固めでの出場がほとんどで、打席数、安打数、打点、打率など打撃面の成績は前年を下回った[31]。
2017年は、代走や守備固めで43試合に出場するも、打撃成績は17打数1安打に終わり伸び悩んだ[32]。
2018年は、オープン戦で満塁本塁打を放つなど結果を残し開幕一軍を手にすると、交流戦以降は先発での出場が増えた[32][33]。守備中に左手首を骨折して一度は離脱するも、最終的に90試合に出場し打率.287、2本塁打、15打点、10盗塁とキャリアハイの成績を記録し、倍増となる2300万円(推定)で契約を更改した[34]。
2019年は開幕戦で先発出場を果たしたが、4月に左ハムストリングス筋損傷の影響で早々に離脱[35]。5月22日のロッテ戦では益田直也からサヨナラ打を打った[36]。目標にしていた100試合出場、20盗塁は達成できなかったが、82試合に出場し打率.206、3本塁打、21打点、9盗塁の成績を残した[37][38]。
2020年は前年より多い87試合に出場したが、代走や守備固めが主となり打席数は半減。打率.239、1本塁打、7打点の成績だった[39]。
2021年、レギュラーシーズンでは代走や守備固めを中心に自己最多の101試合に出場。打撃面では僅か1安打、打率.059に終わるも、チームのリーグ優勝で迎えたロッテとのCSファイナルステージ第3戦では、9回裏に益田直也からチームの25年ぶりとなる日本シリーズ進出を決める同点二塁打を放った[36][注 1]。
2022年、開幕前の3月に新型コロナウイルスに感染し[40]、開幕には間に合わなかったが最終的に72試合に出場し、前年と同じく代走や守備固めでの出場となった。また、2年ぶりに本塁打を記録した。
2023年、シーズン序盤は前年同様、代走・守備固めでの出場となったが、5月初めに左翼手のレギュラーだった杉本裕太郎が軽度のふくらはぎ筋損傷で離脱すると、代わりに小田が先発出場を果たし、5月3日の福岡ソフトバンクホークス戦で3安打記録するなど、打撃で意外性を見せた。シーズン序盤で打席も少なかったが、3割台を残した。シーズン後半に先発出場の機会が減少したが、最終的にシーズン打率.290と活躍、またスーパーサブの役割も果たし、チームに大きく貢献した。またこの年、国内FA権を取得[41]したが行使せず1年契約で残留した[42]。
2024年9月16日、同年限りで現役引退を発表[43]。同月24日、同じく引退するT-岡田、安達了一と共に出場選手登録された[44]。同日の試合では6回二死三塁から同期入団で親交深い西野真弘の代走として出場[45]。守備では右翼と中堅に入り、打撃では8回無死一塁で遊直に倒れた[46]。自身は試合後の引退セレモニーを固辞していたが[47]、同日の本拠地最終戦セレモニーにて、監督・中嶋聡の計らいによって急遽挨拶を行うこととなり、「監督やコーチに恵まれ、チームメイトに恵まれ、ライバルたちにも恵まれ、そして、僕の大好きな西野に出会えて…。本当に幸せなプロ野球人生でした」と感謝し、10年間のプロ野球生活を締めくくった[48]。
現役引退後
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選手としての特徴・人物
俊足・巧打の外野手[32]。社会人時代で50m走のタイムは5秒9、遠投は120mを記録[1]。
端正な顔立ちとして知られ、メディアなどで福山雅治似と称されている[50]。
オリックスで同僚であった後藤駿太は「このチームで主将をやるなら誰が理想か?」と尋ねられた際、即答で小田の名前を挙げている[52]。後藤は「小田さんには誰も何も言えないし、チームを引っ張っていく力がある」と語っている[52]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2015年8月5日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦(QVCマリンフィールド)、「2番・右翼手」で先発出場
- 初打席:同上、1回表にイ・デウンから投手前犠打
- 初安打:同上、3回表にイ・デウンから右前安打
- 初盗塁:2015年8月7日、対埼玉西武ライオンズ16回戦(京セラドーム大阪)、2回裏に二盗(投手:十亀剣、捕手:岡田雅利)
- 初本塁打・初打点:2015年8月12日、対福岡ソフトバンクホークス18回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、3回表に中田賢一から中越ソロ
背番号
脚注
関連項目
外部リンク
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