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西野真弘

日本のプロ野球選手 ウィキペディアから

西野真弘
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西野 真弘(にしの まさひろ、1990年8月2日 - )は、東京都江戸川区出身[2]プロ野球選手内野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。

概要 オリックス・バファローズ #5, 基本情報 ...
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経歴

要約
視点

プロ入り前

南葛西小学校時代に「葛西キラーズ」で野球を始め、南葛西中学校では「浦安リトルシニア」に所属し[3][4]東海大学付属浦安高校では甲子園出場経験は無し。 国際武道大学4年生の時、千葉県大学野球リーグで春・秋の2季連続で二塁手のベストナインを獲得した[5][6]明治神宮野球大会では初戦で富士大多和田真三郎にノーヒットノーランで敗れた[7]

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JR東日本時代
(2014年6月3日)

JR東日本時代は1年目に第84回都市対抗野球大会でベスト8に進出[8]、社会人野球ベストナインを獲得した(二塁手)[9]。2年目には韓国で行われた第17回アジア競技大会野球日本代表に選ばれ、4試合に出場、計8打数1安打だった。唯一の安打はモンゴル戦で放った本塁打である[10]。社会人時代は田中広輔と二遊間を組んでいた[11]

2014年10月23日に行われたドラフト会議では、オリックス・バファローズから7位指名を受け[12]、契約金2500万円、年俸1000万円(金額は推定)[13]で契約し入団した。背番号は39[14]

ドラフト後に行われた第40回社会人野球日本選手権大会では二塁手として3試合に先発出場、計12打数3安打1四死球だった[15]

オリックス時代

2015年は開幕を一軍で迎えた[16]。4月2日の対福岡ソフトバンクホークス戦の5回表に代打でプロ初出場し、初打席は一塁手への飛球で凡退した[17]。4月12日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では「8番・三塁手」で初先発出場し、7回表の第3打席で初安打となる右前安打を放つと[18][19]、4月22日の対千葉ロッテマリーンズ戦では7回表に二死満塁の場面で2点適時打を放って初打点を挙げ[20][21]、4月29日の楽天戦では4回裏にプロ初本塁打を放った[22][23]。5月2日の対ソフトバンク戦では2回裏に初盗塁(二盗)を記録[24]。33試合に出場した時点では、規定打席には達していなかったものの、94打数34安打の打率.362、3本塁打、18打点、5盗塁、得点圏打率.480の好成績を収めていた(同時期のリーグ首位打者が柳田悠岐で打率は.356、規定打席まであと5打席の清田育宏の打率は.355だった)[11]。7月2日の対北海道日本ハムファイターズ戦の8回の第4打席で空振りをした際に右手首を痛め、翌3日に有鈎骨の骨折で全治2か月と診断され[25][26]、7月4日に出場選手登録を抹消され[27]、その後復帰することなくシーズンを終えた[28]。12月1日、大阪市大正警察署で一日警察署長を務めた[29]

2016年、チームでは糸井嘉男と共に全試合に出場、1試合以外は全て二塁手として出場した[30][31]。三塁打数7は茂木栄五郎と共にリーグ最多を記録する一方、二塁手部門でリーグ最多の17失策を記録した[32][33]。12月12日に背番号が5に変更されたことが発表された[34]

2017年、開幕戦は「2番・二塁手」で先発出場したが、夏場には二軍降格を経験するなど不調に終わった。6月19日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では代打から出場しプロ入り後初めて遊撃手として出場した。

2018年、三塁手としての出場を重ねていたが、8月11日の試合の守備練習中に打球が額に直撃し、病院で検査を受け、前頭骨骨折、脳震盪と診断され、出場登録を抹消された[35]

2019年は、ケガや不振などもあり自己最少の56試合の出場にとどまった。

2020年は開幕一軍を逃した。二軍で3割超の打率を残していたが昇格は遅れ、中嶋聡が監督代行に就任してから約1週間後の8月28日に一軍昇格となった。9月8日の対埼玉西武ライオンズ戦では9回無死で代打出場し中前安打を放った。この安打は相手先発投手である高橋光成ノーヒットノーラン投球を阻止する一打となった[36]。しかしシーズンを通した好調は維持できず、23試合出場、打率.243の成績に終わった。

2021年は開幕から調子が上がらず、全部門で自己最少となる、18試合出場、打率.146、1打点に終わり、シーズン通しての安打数も自身初の一桁となる6安打にとどまった。

2022年も開幕から二軍暮らしが続いていたが、4月8日のロッテ戦で代打起用され安打を放つと、4月15日の西武戦では「2番・三塁手」で先発出場し、マルチヒットを放つなど、新型コロナウイルスの影響で離脱者が多かった4月上旬は起用に応える活躍を見せた。しかし、5月に入ると打撃成績が急降下し、5月28日の中日ドラゴンズ戦を最後に一軍登録を抹消された。再昇格は8月6日の楽天戦まで待つこととなったが、「2番・指名打者」で起用されたこの試合で2安打2打点の活躍を見せると、以降はユーティリティーとして一軍に定着。優勝争いの直接対決となった9月19日のソフトバンク戦では猛打賞を記録するなど、チームの大逆転優勝に貢献した。さらに、東京ヤクルトスワローズとの日本シリーズでも第3戦で完封負けを阻止する適時打、第5戦で投手強襲の同点適時打、第6戦で9回に追加点となる犠飛を放つ活躍を見せ、シリーズ通算でも11打数5安打とチームの26年ぶりの日本一に大きく貢献した。

2023年はオープン戦で22打数11安打で打率.500と結果を残し、「3番・二塁手」で開幕スタメンを勝ち取った。9月20日のロッテ戦ではダメ押しとなる適時打を放ち、チーム本拠地胴上げの立役者の1人となった。しかしシーズンを通して終始不安定な調子で、5度の一軍登録・抹消を経験するなど、前年と同じ43試合に出場したものの、打率1割台に終わった。それでも、阪神タイガースとの日本シリーズでは第2戦で決勝点となる先制の適時三塁打を放つ[37]など、要所要所での活躍が目立った。

2024年もオープン戦で結果を残し、「2番・二塁手」で開幕スタメンを勝ち取った[38]。前年よりも試合出場数を大きく伸ばし、89試合に出場。5年ぶりに本塁打を放ち、規定打席には届かなかったが打率.300を記録した。10月14日、同年に取得した国内FA権を行使せずに残留することを表明し[39]、12月2日に2700万円増となる推定年俸5000万円で2年契約を締結した[40]

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選手としての特徴

打撃

シュアな打撃に定評のある巧打者[41][42]。優れたバットコントロールと選球眼[43]、粘り強さ[44]と勝負強さ[45]、それに加えパンチ力も魅力[46]

オリックスで同僚であった坂口智隆は西野の最大の長所を「チームの状況を見れる選手」と評し、「粘れる時は粘れるし、仕掛けなきゃいけない時はどんどん積極的に行けるので、本当に打撃能力が高い選手」「ずっと出れば3割打てる」と絶賛している[47]

守備・走塁

50メートル走で6秒1を記録した俊足、内野複数ポジションをこなせる器用さが持ち味[48]

人物

愛称は「まーさん」[49]

身長167cmはチーム最低身長(入団当時)[3]

自身と同じように小柄な内野手で元チームメイトの平野恵一をプロ入り時から尊敬しており、平野からは引退セレモニー時に使用したバットと、平野の名前入りのリュックサックをプレゼントされている[50][51]。なお、2016年のオフに変更した背番号5は、平野がオリックス時代につけていた背番号である[51]。また、応援団が演奏する応援歌も平野の曲が継承された[52]

詳細情報

年度別打撃成績

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  • 2024年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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記録

初記録

背番号

  • 39(2015年[14] - 2016年)
  • 5(2017年[34] - )

登場曲

現在使用している登場曲
過去に使用していた登場曲
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脚注

関連項目

外部リンク

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