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小野寺洋
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小野寺 洋(おのでら ひろし、1921年[1] - 没年不明)は香川県[2]出身のプロ野球選手(投手)。
来歴・人物
志度商(現・香川県立志度高等学校)を経て、1940年にイーグルスに入団。後に南海でプレーした三村正は1年先輩に当たる。翌1941年まで在籍したが、出場したのは1940年6月18日の巨人戦(後楽園球場。中河美芳、長谷川重一の後を継いで3番手で登板。2/3回を投げて1安打5四球2三振、失点3、自責点3で降板)と同年8月7日の阪急戦(満州リーグ戦開催中で、新京の児玉公園球場で行われた。玉腰忠義の後を継いで2番手で7回から登板。2回を投げて3安打2四球、失点1、自責点1の成績だった)の2試合のみだった。
詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
- イーグルスは、1940年10月6日に黒鷲に球団名を変更
背番号
- 28 (1940 - 1941)
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脚注
関連項目
外部リンク
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