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コント山口君と竹田君

日本のお笑いコンビ ウィキペディアから

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コント山口君と竹田君(コントやまぐちくんとたけだくん)は、日本お笑いコンビ。出囃子は『山口さんちのツトム君』。

概要 コント山口君と竹田君, メンバー ...

三木プロダクション、山口弘和が代表を務めていたプライムワンを経て、有限会社トムプロダクションに所属している。

プロフィール

山口 弘和(やまぐち ひろかず、山口君)

概要 やまぐち ひろかず 山口 弘和, 本名 ...

1956年11月23日生まれ、埼玉県出身。立正大学中退[1]

竹田 高利(たけだ たかとし、竹田君)

概要 たけだ たかとし 竹田 高利, 本名 ...

1957年1月22日生まれ、東京都出身。

  • 本名同じ[3]。事務所の公式サイトでは、コンビとしての芸名は「竹田君」、個人の芸名は本名としている。
  • 高校卒業後、秋葉原の電器店に勤務[3]
  • 趣味はウォーキング・低い山登り、特技は汗[2]
  • 妻の美起子とともに旅番組のレポーターなどで活動。
  • 相方の山口と比べ単独でのテレビドラマ出演が多く、1993年にはNHK大河ドラマ炎立つ』にレギュラー出演した。その際、「タカトシ号」という馬に乗って撮影に臨んだ。
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来歴・人物

もともとは新宿ストリップ劇場で、集団によるコントを演じていた。他のメンバーがどんどん辞めていき、最後に残ったのが山口と竹田だけだった[4]

1982年にコンビを結成し、翌年の1983年にデビュー。1984年、『お笑いスター誕生!!第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ』(日本テレビ)に初出場。2回戦、準決勝と100点満点を達成。100点満点は史上初で、以後も松竹梅しか達成していない。そのままの勢いで優勝、見事100万円を獲得した。

以後は数々のテレビ番組に出演するようになり、人気も急上昇。1985年には「打倒・笑っていいとも!」として企画され、裏番組で放送された冠番組コント山口君と竹田君のおじゃまします』(TBSテレビ)が立ち上がったが、視聴率が振るわず、わずか1ヶ月半で打ち切られた。その後は演芸番組やドラマにも出演、ピンでの活動も増えた。

くりぃむしちゅーは元付き人で弟子[5]。また、彼らの旧コンビ名である「海砂利水魚」の名付け親でもある[6]

1986年頃、三谷幸喜が座付作家を務めていたことがある[7]

2013年漫才協会に入会し[8]、さらに2022年4月には落語芸術協会に入会した[9]。漫才協会では正式には「真打ち」(公演の主任を務める資格がある身分)にはなっていないものの、公演の主任を務めるほか、同協会の幹部にも就任している。また、落語芸術協会にも加入したことで、同協会の寄席での定席興行へ出演できるようになった。

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芸風

最初に竹田が登場し「竹田高利、○歳、くらい!(年齢はコントの内容によって変わる)」と宣言し笑いをとると、山口がのっそりと現れて本編に入る。この際、自分が登場したときに拍手がないと、竹田に「お前だけ拍手がもらえていいな」と観客に間接的に拍手を要求する。

一本気な竹田が、山口にのらりくらりと振り回されるコントが多い(逆に竹田が山口を振り回すコントもある)。徐々に汗だくになっていく竹田を山口があげつらってひと笑い取ることもある。最後に竹田がブチ切れ、山口があっさりと「終わりです」と言って幕を閉じるパターンが多い。

出演

テレビドラマ

映画

レギュラー番組

CM

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受賞歴

脚注

外部リンク

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