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山瀬幸宏
日本のサッカー指導者、元選手 ウィキペディアから
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山瀬 幸宏(やませ ゆきひろ、1984年4月22日 - )は、北海道札幌市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
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来歴
札幌SSS、札幌SSSジュニアユースに所属していた。同期生に矢野哲也がいた。 その後横浜F・マリノスユースを経て、2003年から横浜F・マリノスに入団。2007年はリーグ戦第4節からスタメンに定着。第7節の大分戦では、前半11分に自らの23歳の誕生日を祝うプロ入り初ゴール。さらに後半43分には幸宏のアシストで兄もゴールを決め、Jリーグ史上2組目となる同一試合兄弟アベック弾というおまけがついた。続く第8節の新潟戦、第19節の横浜FC戦でも兄弟アベック弾を達成した。なお、これらの試合ではそれぞれ5, 6, 8得点とチームも大量得点を挙げて勝利している。
2008年シーズンは主に右サイドで起用されたが、逆足(右足)でのプレーが不得手なため、精彩を欠くプレーが多かった。
2009年シーズン途中よりサガン鳥栖に期限付き移籍。主にフォワードとして起用された。
2011年契約満了により退団[2]。カターレ富山に完全移籍した。
2014年、FC大阪へ移籍[4] し、同年12月に契約満了し退団[5]。
2015年1月に引退し、同年より古巣のSSSスポーツクラブのコーチに就任した[6]。
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人物
- 愛称の「Y氏」はキックオフ!!F・マリノスの番組中に、寮の部屋のレポーター役をしていた尾本敬に「某Y氏」と呼ばれたことに端を発し、司会(当時)の水沼貴史がそう呼ぶようになったのが由来である。また、知人からは「ユッキ君」とも呼ばれている[7]。
- コンサドーレ札幌のユースへの入団を考えていたが、その札幌のトップチームに入団が既に決まっていた兄から横浜のユースを勧められて、進路を決めたという。
- 2005年のACLでは、兄・功治がリーグで使用している背番号10で出場した。これは、ACLでは背番号がレギュレーションで30以下に制限されており(そのため背番号35の河合竜二も20で出場した)、兄が怪我のため選手登録されていなかったためである。
- 整理整頓が出来ず、部屋が汚いことがテレビなどで暴露されている。そのためか、趣味は漫画喫茶に出かける事。「あそこ(漫画喫茶)には全てがある」と、チームメイト(横浜FM所属時)の小宮山尊信を引き込んだこともある。
- Jリーグ初出場となった2005年5月8日のサンフレッチェ広島戦では兄弟揃ってボランチとして出場し、チームは久々の勝利を挙げた。
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所属クラブ
- ユース経歴
- 札幌SSSジュニア
- 札幌SSSジュニアユース
- 横浜F・マリノスユース
- プロ経歴
個人成績
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脚注
関連項目
外部リンク
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