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岡本敏男
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岡本 敏男(おかもと としお、1917年 - 没年不明〈2004年以前[1]〉)は、熊本県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。
来歴・人物
熊本県立工業学校(現・熊本県立熊本工業高等学校)では1932年の第18回全国中等学校優勝野球大会に出場し、準々決勝の石川師範戦でノーヒットノーランを記録した。熊本工業卒業後は、社会人野球の強豪・門司鉄道局(現・JR九州硬式野球部)に進み、1936年の都市対抗野球では優勝投手に輝いた。
1940年3月31日に名古屋軍に入団。同年8月6日のセネタース戦(満州リーグ戦の試合。奉天・満鉄球場)でデビューし、浅岡三郎との投げ合いの末、延長11回無失点のまま引き分けるという上々の結果だった。完封して引き分けたのは、日本プロ野球史上でこれが初めてだった[2]。同年8月11日のライオン戦(満州リーグ戦の試合。新京・児玉公園球場)でプロ初勝利を挙げた。しかし結果的にこれがプロ唯一の勝利となった。その後伸び悩み(名古屋軍に応召者が相次いでいた事情もあるが、なかなか勝てなかった)、1941年シーズンをもって引退した。
その後の消息は不明だが、森岡浩(編)『甲子園 高校野球人名事典』〈東京堂出版、2004年〉によると、2004年時点で故人であると書かれている[1]。
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詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
背番号
- 22(1940年 - 1941年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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