トップQs
タイムライン
チャット
視点
岡部明一
ウィキペディアから
Remove ads
岡部 明一(おかべ あきひと、1962年10月13日 - )は、大阪府堺市[1]出身の元プロ野球選手(外野手)。
Remove ads
来歴・人物
PL学園高では、1年下のエース西川佳明を擁し、1979年秋季近畿大会府予選決勝リーグ(4校)に進むが4位に終わる。翌1980年夏の甲子園府予選でも準々決勝に進出するが、近大附高に惜敗。
高校卒業後は中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは在学中優勝に届かず、1984年秋季リーグでは二部降格も経験。しかし強打の外野手として活躍し、1983年の中央大学選手賞を獲得した。同年の日米大学野球選手権大会にも出場し、第4戦で2点本塁打を放ち日本の優勝に貢献[1]。リーグ通算59試合出場、181打数50安打、打率.276、7本塁打、21打点。ベストナイン1回。
1984年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから3位指名を受け入団[1]。入団当時は和製ソレイタと評価され即戦力として期待された。
1985年から一軍出場を果たし初本塁打も記録する。
1986年に右肘を故障し、オフに軟骨の除去出術を受ける。
1987年オフには早くもトレード要員に名前が挙がるが、交換要員の関係でトレードは流れる。
1988年には、先発出場52試合を含む自己最多となる95試合に出場し11本塁打を記録する。しかし打率は低迷し、翌年から西村徳文が外野手に回ったこともあって出場機会が減少。
1991年には8月から22試合に四番、指名打者として起用され、打率.275の好成績を記録する。
1993年11月に戦力外通告を受け現役を引退[1]。引退後はロッテスカウトに就任。
2005年に退団した。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 38 (1985年 - 1993年)
Remove ads
家族
長男の岡部拳門(けんと)は、早稲田摂陵高等学校[2]から九州共立大学を経て[3]、2020年に四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに入団[4]。2021年シーズンで退団[5]後、同年オフに日本海オセアンリーグの滋賀GOブラックス(指名時点では「オセアン滋賀ブラックス」)にドラフト指名され[6]、2022年から所属している[7]。
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads