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岡部憲章
日本のプロ野球選手 (1958-) ウィキペディアから
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岡部 憲章(おかべ のりあき、1958年4月11日 - )は、東京都武蔵村山市出身の元プロ野球選手(投手)。
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来歴・人物
要約
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東海大相模高在学中は控え投手として甲子園に3度出場するが、後に同校や東海大甲府高の監督として名を馳せる左腕エース村中秀人の陰に隠れ、2年次の1975年に春の選抜の準決勝で、堀越高を相手に9回裏1イニングを投げたのみに終わる。
卒業後の進路は「野球で悩んで、勉強で悩むのはイヤ。野球に集中したい」と[1]、1976年オフにドラフト外で日本ハムファイターズへ入団[2]。
1978年まではイースタン・リーグでこそ好投したが[1]、一軍では4月2日のロッテ戦(川崎)で初登板を果たすも通用しなかった。宮田征典二軍投手コーチには「お前は走ってなんぼ」と言われて、陸上部のように毎日、走っていた[1]。岡部はグラウンドに行くのが嫌になり、吐きそうになるほど走らされた[3]。走り込みによる下半身強化に加え、炊く前の米粒を茶碗半分ほどテーブルの上に用意し、指先で一粒一粒つまんで茶碗に入れるトレーニングも課題として与えた[3]。宮田は「指先の感覚が良くないから」という理由でトレーニングを命じたが、岡部は走り込みを重ねて疲れ切った練習後、寝る前に寮の自室などで、地道に米粒をつまむ作業を繰り返した[4]。この作業は元々、麻痺を抱えた人たちのリハビリとして行われていたものであった[4]。岡部は1年間の「米粒トレ」と下半身強化で捕手が構えたところに投げられるようになり、確かな効果を生んだ[4]。
1979年にはスライダーとシュートを習得したことで投球の幅も広がり、ゆっくりではあったが、着実に実力をつけていく[1]。
1980年5月24日の近鉄戦(後楽園)で初勝利を挙げると、1981年には大宮龍男の好リードも光り、先発投手の一人として13勝を記録。開幕前に掲げた目標はシーズン5勝であり、シーズン当初はセットアッパーとしてスタートしたが、5月18日の阪急戦(後楽園)で先発の宇田東植が一死も取れないまま打球を受けて降板すると、緊急登板[1]。そこから5イニングを抑えてシーズン初勝利を挙げるとじわじわと頭角を現していき、快進撃が始まったのは後期に入ってからであった[1]。7月14日の南海戦(後楽園)では、5試合連続本塁打と絶好調の門田博光を2三振、1併殺に抑え込んで5勝目、同19日の西武戦(平和台)ではプロ初完封で連勝[1]。9月3日の近鉄戦(後楽園)ではキャリア唯一の2桁勝利となるシーズン10勝に到達し、試合後には「信じられない。うれしいです」と涙を見せた[1]。この試合を締め括ったのがクローザーの江夏豊で、江夏には打者との駆け引き、間の取り方を教わった[1]。日本ハムが後期優勝を決めた後の同26日の近鉄戦(藤井寺)で救援登板すると、江夏から「消化試合やから相手は打ち気にはやっとる。ストライクはいらん。全部ボールでええ」とアドバイスを受けて三者凡退に抑え、シーズン規定投球回に到達した[1]。防御率2.70と最優秀防御率を獲得し、19年ぶりのリーグ優勝に貢献[2]。同年の巨人との日本シリーズでも2試合に登板し、第3戦では先発に起用され、原とは2打席の対戦で、捕邪飛、空振り三振と完璧に打ち取っている[1]。
1982年からは故障もあって登板機会を減らし[1]、成績が低迷。
1987年オフに藤原仁とのトレードで阪神タイガースに移籍[2]し、1988年は5年振りの完投を記録するなど先発・中継ぎで活躍。1989年5月31日ヤクルト対阪神(神宮)で本塁ベースカバーの際にラリー・パリッシュのスライディングで足首を負傷して離脱し、同年に引退[2][5]。
引退後は原の勧めもあり、1990年に打撃投手として巨人に入団。巨人入団当時、高校の同期であった原はまだ現役で、同じく津末英明も前年に日本ハムから巨人に移籍していたため、それぞれの役割は違えど、プロで初めて同じチームに揃った。巨人時代は落合博満に信頼されてミニキャンプで連日500球投げ込むなど、48歳まで打撃投手としてチームを支えた[1]。2006年退団。
退団後は東京都中野区に飲食店「You’s・cafebar」を開店したが、現在は閉店している[6]。
2007年からはクラブチーム「浦和ディアーズ」のコーチへ就任し、2009年からは監督を務めた。
2015年には日本ウェルネススポーツ大学コーチ[7]、2017年7月からは女子硬式野球チーム「ZENKO BEAMS」ヘッドコーチに就任し[8]、2019年からは監督を務める[9]。2021年12月からは新体制として同チーム監督に中島梨紗を迎え、自身は総監督に就任[10]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最優秀防御率:1回(1981年)
記録
背番号
- 34 (1977年 - 1987年)
- 13 (1988年 - 1989年)
- 114 (1990年 - 2006年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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