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川島信也

日本の政治家 (1936-2023) ウィキペディアから

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川島 信也(かわしま のぶや、1936年昭和11年〉3月24日[1] - 2023年令和5年〉11月15日)は、日本政治家長浜市を通算3期12年[2]務めた。

概要 生年月日, 出生地 ...
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経歴

高島郡(現・高島市)生まれで長浜市在住[3]1959年東京大学法学部卒業後、日本国有鉄道に入社[4]米子鉄道管理局総務部人事課長、大阪鉄道管理局営業部旅客課長、ニューヨーク事務所次長、九州地方資材部長、本社経営計画室主幹を歴任し、1980年に退職[4]。1983年の第37回衆議院議員総選挙自由民主党公認)、1986年の第38回衆議院議員総選挙(自由民主党公認)、1990年の第39回衆議院議員総選挙(無所属)に続けて出馬するが落選した。

1991年11月12日に長浜市長に就任し1995年11月11日まで在任。1999年に再任[4]。2003年に前市長から引き継いだ[5]長浜バイオ大学の設立を実現させた。2000年の衆院選後は滋賀2区からの出馬も噂された[6]2003年の市長選では宮腰健に破れて落選した。同年の衆院選に出馬した次男の川島隆二を支援したが落選した(後に滋賀県議)。

2006年浅井町びわ町との合併で新長浜市が誕生し、同年の選挙で再び市長に当選、新長浜市初代市長に就任した[4]。翌年には、息子の隆二も県議会選で当選した[7]。「市民が主役のまちづくり」を基本姿勢とし、「行政のスリム化」、「暮らしの安全・安心の実現」による「生涯現役健康都市」などを公約としている[8]。長浜市と虎姫湖北高月木之本余呉西浅井町との法定合併協議会の会長を務め[9]、湖北7市町合併を実現させた。

湖北7市町が合併した2010年の市長選に再選を目指したが、前年の衆院選の滋賀2区で落選していた藤井勇治に敗れた。

2023年11月15日6時55分、肺塞栓症のため死去[10]87歳没。死没日付をもって従五位に叙され、旭日小綬章を追贈された[11]

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出典

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