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成迫健児
日本の短距離走選手、ハードラー、政治家 ウィキペディアから
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成迫 健児(なりさこ けんじ、1984年7月25日 - )は日本の陸上選手、政治家。大分県議会議員(2期)。
大分県佐伯市出身。2007年、ミズノに入社。2013年、地元の佐伯市に戻り、佐伯市役所職員として東京オリンピック出場を目指す公務員ハードラー。
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略歴
高校時代まで
- 1984年7月25日 大分県佐伯市に生まれる
- 1991年 佐伯市立上堅田小学校(大分県佐伯市)入学
- 1997年 佐伯市立佐伯南中学校(大分県佐伯市)入学
- 進学当初はスランプで県大会に進めなかった。2年からハードルを始め、3年の時に全国大会に初出場を果たした[4]。
- 2000年 大分県立佐伯鶴城高等学校(大分県佐伯市)入学
- 1年の時に110mハードルでインターハイ初出場を果たし、富山国体の少年B110mハードルでは3位に入った。
- 2年の時から400mハードルに取り組み始めた。デブレツェン(ハンガリー)で開催された世界ユース選手権では400mハードルで銅メダルを獲得し、世界ユース選手権のハードル種目で日本人初のメダルを獲得した。インターハイの400mハードルは3位、4×400mリレー(3走)は2位に入り、2種目で入賞を果たした。宮城国体の少年共通400mハードルでは1位と0秒03差の2位に入った。
- 3年の時にキングストン(ジャマイカ)で開催された世界ジュニア選手権の400mハードルに出場したが、54秒10の予選1組5着で敗退した[5]。インターハイの400mハードルは4位。高知国体の少年共通400mハードルは1位と0秒02差の2位で、昨年に続きわずかの差で優勝を逃した。
大学時代
- 2003年筑波大学(茨城県つくば市)入学。
- 1年時
- 2003年7月の日本インカレは校内選考に漏れて出場できなかった。
- 2003年11月、筑波大競技会の十種競技にわずかな準備だけで出場し、2003年日本ランキング27位の記録となる6540点をマークした。
- 2年時
- 3年時
- 2005年5月、国際グランプリ大阪の400mハードルで自身2度目の48秒台となる48秒71をマークして3位に入り、為末大に0秒01差で競り勝ち日本人最先着を果たした。
- 2005年6月、日本選手権の400mハードルに出場。準決勝を49秒22の全体トップで決勝に進出するが、決勝では49秒44にタイムを落とし、優勝した為末大と0秒17差の2位に終わった。
- 2005年7月、日本インカレに出場。400mは山口有希らに競り勝ち46秒16の自己ベストで制覇。400mハードルは為末大の大会記録を0秒49更新する48秒35の自己ベストで2連覇を達成。4×400mリレー(アンカー)は3分04秒38の大会記録で制して3冠を達成した。
- 2005年8月、ヘルシンキ(フィンランド)で開催された世界選手権に出場し、自身初のシニアの世界大会を経験した。400mハードルの予選は49秒87の組4着に入り、着順で準決勝に進出した。準決勝は49秒00で組3着に入ったが、着順で決勝に進出できる2着とは0秒51差、タイムで拾われる2枠とは0秒54差の全体10位に終わり、決勝進出を逃した[6]。4×400mリレー(金丸祐三 - 成迫 - 堀籠佳宏 - 佐藤光浩)は予選失格に終わった[7]。
- 2005年同月、イズミル(トルコ)で開催されたユニバーシアードにも出場。400mハードルを48秒96で制し、1995年大会の山崎一彦以来日本人2人目の金メダルを獲得した。4×400mリレー(太田和憲 - 堀籠佳宏 - 山口有希 - 成迫)では3分03秒20の日本学生記録(混成)を樹立して銀メダルを獲得した。
- 2005年10月、岡山国体に出場。成年400mハードルを48秒09の大会記録で制して2連覇を達成した。成年400mは46秒02の自己ベストで2位に入った。
- 4年時
- 2006年5月、国際グランプリ大阪の400mハードルで日本人2人目の47秒台となる47秒93をマークし、為末大の日本記録に0秒04差と迫った。
- 2006年6月、日本インカレの400mハードルで出場選手唯一の49秒台をマークして3連覇を達成した。
- 2006年6-7月、日本選手権の400mハードルに出場。為末大がこの年はハードルを封印したので直接対決は実現しなかったが、決勝では出場選手唯一の48秒台となる48秒95をマークして日本選手権初制覇を果たした。
- 2006年12月、ドーハ(カタール)で開催されたアジア大会に初出場。400mハードルでは出場選手唯一の48秒台となる48秒78で制し、自身初のアジアタイトルを獲得した[8]。4×400mリレー(堀籠佳宏 - 金丸祐三 - 向井裕紀弘 - 成迫)は3位のスリランカと0秒10差の4位でメダルを逃した。
- 1年時
社会人時代
- 2007年 ミズノ入社
- 2007年6月、日本選手権の400mハードルに出場。48秒87で優勝した為末大と0秒14差の2位に終わり、2連覇を逃した。
- 2007年8月、大阪で開催された世界選手権に出場し、400mハードルでは2大会連続で準決勝に進出した。準決勝では組2着かタイムで拾われる2枠に入れば決勝に進出できたが、48秒44の組5着に終わり決勝進出はならなかった。この48秒44は準決勝全体6位タイのタイムで、世界選手権史上最も速い落選タイムだった[9][10]。4×400mリレー(山口有希 - 石塚祐輔 - 成迫 - 佐藤光浩)は3分02秒76の予選2組4着(全体10位)に終わり、着順で決勝に進出できる組3着とは0秒37差、タイムで拾われる2枠とは0秒27差で決勝進出はならなかった[11]。
- 2007年9月、初出場となった全日本実業団選手権の400mハードルを48秒99の大会タイ記録(1999年大会で苅部俊二がマーク)で制した。
- 2008年3月、沖縄合宿でアキレス腱の痛みの兆候が出始める[12]。
- 2008年5月、国際グランプリ大阪の400mハードルを49秒00で圧勝[13]。北京オリンピックプレ大会の400mハードルでは48秒87をマークして日本男子選手唯一の金メダルを獲得した[14]。
- 2008年6月、日本選手権のテストとして出場した石岡記録会の400mハードルのレース後にアキレス腱に激痛が走る。日本選手権直前になっても痛みは治まらず、走りのバランスを崩すほどだったが、そんな状況でも日本選手権の400mハードルでは為末大に次ぐ2位に入った[12]。
- 2008年8月、北京(中国)で開催されたオリンピックに初出場を果たした。痛めている右アキレス腱をテーピングで固めて出場した400mハードルは49秒63の予選1組5着(全体17位)に終わり、着順で準決勝に進出できる3着に入れず、タイムで拾われる4枠とは0秒02差で準決勝進出を逃した[15][16]。4×400mリレー(安孫子充裕 - 為末大 - 堀籠佳宏 - 成迫)でも3分04秒18の予選2組6着(全体14位)で決勝に進出できなかった[17]。
- 2008年10月、地元大分で開催された国体ではフィールドホッケー女子代表の岩尾幸美と共に選手宣誓をした。人一倍郷土愛が強く、高校を卒業した頃から意識していた地元大分での国体は「大分のために絶対優勝しなくてはいけない」という思いからオリンピックの1000倍くらい緊張していたが、成年400mハードルを2009年世界選手権のA標準突破となる48秒62で制して5連覇を達成した[4][18]。
- 2009年6月、日本選手権の400mハードルを49秒53で制し、3大会ぶり2度目の優勝を果たした。
- 2009年8月、ベルリン(ドイツ)で開催された世界選手権に3大会連続で出場。400mハードルで49秒60の予選1組5着(全体16位)に終わり、着順で準決勝に進出できる3着に入れず、タイムで拾われる4枠に0秒07届かず、世界選手権3回目の出場にして初の予選敗退に終わった[19]。
- 2009年10月、国体の成年400mハードルで6連覇がかかっていたが、優勝した杉町マハウと0秒17差の2位に終わった[20]。
- 2009年11月、広州で開催されたアジア選手権に初出場。400mハードルは予選を出場選手唯一の49秒台で通過すると、決勝で49秒22をマークし、2位に0秒74差をつけて金メダルを獲得した。4×400mリレー(藤光謙司 - 成迫 - 廣瀬英行 - 金丸祐三)も3分04秒13で制し、2冠を達成した。
- 2010年5月、2月に腰を痛めた影響で東日本実業団選手権が今シーズン初の400mハードルの実戦になったが、優勝タイムが不満ながらも49秒86で制した[21]。
- 2010年6月、日本選手権の400mハードルを49秒01で制して2連覇を達成した[22]。
- 2010年11月、2連覇がかかっていたアジア大会の400mハードルに出場し、予選を50秒15の全体トップで通過した[23]。迎えた決勝では優勝したインド選手と並ぶようにゴールしたが、5台目のハードルで抜き脚がハードルの外側を通過したとして失格になった[24]。
- 2011年5月、静岡国際やゴールデングランプリ川崎の400mハードルにエントリーしていたが腰痛のため欠場した[25][26]。
- 2011年6月、3連覇がかかっていた日本選手権の400mハードルに出場するが、腰痛と右足アキレス腱を痛めていた影響もあり56秒22の予選1組7着で敗退した[27]。
- 2012年6月、日本選手権の400mハードルに出場したが、アキレス腱を痛めていた影響もあり56秒22の予選2組6着で敗退した。この予選では同じ組に為末大もいたが、1台目のハードルで転倒して組最下位に終わっている。結果的にこれが2005年5月の大阪グランプリ大阪以来の直接対決での先着となった。
公務員アスリートとして
政治家転身
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自己ベスト
主要大会成績
- 1999年 佐伯市立佐伯南中学校 3年生
- 第26回全中 110mH 準決勝敗退(3組6着) / 4×200mR 予選敗退(4組8着 2走)
- 2000年 大分県立佐伯鶴城高等学校 1年生
- 2001年 大分県立佐伯鶴城高等学校 2年生
- 2002年 大分県立佐伯鶴城高等学校 3年生
- 第18回日本ジュニア選手権 400mH 2位(52秒18)
- 第9回世界ジュニア選手権 400mH 予選敗退(1組5着 54秒10)
- 第55回インターハイ 400mH 4位(52秒85) / 4×100mR 予選敗退(4組3着 2走 41秒90) / 4×400mR 準決勝敗退(1組4着 4走 3分15秒40)
- 第57回高知国体 少年A110mH 準決勝敗退(2組6着 14秒62) / 少年共通400mH 2位(51秒57) / 成年少年共通4×100mR 予選敗退(4組7着 4走 41秒61)
- 2003年 筑波大学 1年生
- 第19回日本ジュニア陸上選手権 400mH 4位(51秒70)
- 第1回日本学生ジュニア選手権 400mH 優勝(50秒53)
- 2004年 筑波大学 2年生
- 2005年 筑波大学 3年生
- 国際グランプリ大阪 400mH 3位(48秒71)
- 第89回日本選手権 400mH 2位(49秒44)
- 第74回日本インカレ 400m 優勝(46秒16) / 400mH 優勝(48秒35 大会記録) / 4×400mR 優勝(4走 3分04秒38 大会記録)
- 第10回世界陸上ヘルシンキ大会 準決勝敗退(予選2組4着 49秒87 → 準決勝2組3着 49秒00) / 4×400mR 予選失格(2走)
- 第23回ユニバーシアード 400mH 優勝(予選4組2着 50秒32 → 準決勝1組1着 49秒65 → 決勝1着 48秒96)/ 4×400mR 2位(4走 3分03秒20 日本学生記録)
- スーパー陸上 400mH 2位(48秒40)
- 第60回岡山国体 成年400m 2位(46秒02) / 成年400mH 優勝(48秒09 大会記録)
- 2006年 筑波大学 4年生
- 国際グランプリ大阪 400mH 3位(47秒93 日本歴代2位)
- 第75回日本インカレ 400m 2位(46秒48) / 400mH 優勝(49秒08) / 4×400mR 5位(4走 3分10秒06)
- 第90回日本選手権 400mH 優勝(48秒95)
- スーパー陸上 400m 9位(47秒64)
- 第61回兵庫国体 成年400m 3位(46秒51) / 成年400mH 優勝(49秒19)
- 第15回ドーハアジア大会 400mH 優勝(48秒78) / 4×400mR 4位(4走 3分07秒07)
- 2007年 ミズノ
- 国際グランプリ大阪 400mH 4位(49秒20)
- 第91回日本選手権 400mH 2位(49秒01)
- 第11回世界陸上大阪大会 準決勝敗退(予選5組3着 48秒92 → 準決勝1組5着 48秒44) / 4×400mR 予選敗退(2組4着 3走 3分02秒76)
- 第55回全日本実業団選手権 400mH 優勝(48秒99 大会タイ記録)
- スーパー陸上 400mH 2位(49秒92)
- 第62回秋田国体 成年400mH 優勝(49秒09)
- 2008年 ミズノ
- 国際グランプリ大阪 400mH 優勝(49秒00)
- 北京オリンピックプレ大会 400mH 優勝(48秒87) / 4×400mR 2位(2走 3分05秒51)
- 第92回日本選手権 400mH 2位(49秒47)
- 第29回北京オリンピック 400mH 予選敗退(1組5着/全体17位 49秒63) / 4×400mR 予選敗退(2組6着 4走 3分04秒18)
- スーパー陸上 400mH 2位(49秒68)
- 第63回大分国体 成年400mH 優勝(48秒62)
- 2009年 ミズノ
- 国際グランプリ大阪 400mH 3位(48秒77) / NGP4×400mR 優勝(日本A4走 3分04秒50)
- 第93回日本選手権 400mH 優勝(49秒53)
- ゴールデンガラ 400mH 9位(49秒91)
- 第12回世界陸上ベルリン大会 400mH 予選敗退(1組5着 49秒60)
- スーパー陸上 400mH 2位(49秒41)
- 第57回全日本実業団選手権 400m 決勝棄権(予選3組1着 47秒15) / 400mH 優勝(49秒11) / 4×100mR 8位(2走 43秒07)
- 第64回新潟国体 成年400mH 2位(48秒84)
- 第18回アジア陸上広州大会 400mH 優勝(49秒22) / 4×400mR 優勝(2走 3分04秒13)
- 2010年 ミズノ
- 第94回日本選手権 400mH 優勝(49秒01)
- 第65回千葉国体 成年400mH 3位(49秒63) / 成年少年共通4×100mR 準決勝敗退(3組6着 2走 41秒79)
- 第16回広州アジア大会 400mH 決勝失格
- 2011年 ミズノ
- 第95回日本選手権 400mH 予選敗退(1組7着 51秒35)
- 第59回全日本実業団選手権 4×400mR 4位(4走 3分13秒19)
- 2012年 ミズノ
- 第96回日本選手権 400mH 予選敗退(2組6着 56秒22)
- 第60回全日本実業団選手権 4×400mR 決勝進出(予選2組2着 2走 3分15秒39)*予選のみ出場(決勝のミズノは3分15秒29で4位)
- 2013年 佐伯市役所
- 第61回全日本実業団選手権 400mH 予選敗退(2組3着 52秒52)
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出演
- 「電車のドアが開いてから次の駅まで猛ダッシュ!“同じ電車”に乗り込めるか?」に挑戦した[34]。
脚注
関連DVD
外部リンク
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