トップQs
タイムライン
チャット
視点

三諸大原

奈良時代から平安時代初期にかけての貴族 ウィキペディアから

Remove ads

三諸 大原(みもろ の おおはら)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族大納言文室浄三の九男。官位従四位下備前守勲位は勲三等。

概要 凡例三諸 大原, 時代 ...

経歴

孝謙朝天平勝宝4年(752年)父・智努王と共に文室真人姓を与えられて臣籍降下する[1]

桓武朝延暦4年(785年従五位下叙爵し、右兵衛佐に任ぜられる。翌延暦5年(786年上総介として地方官に転じる。延暦9年(790年治部少輔に任ぜられ京官に復帰するが、翌延暦10年(791年)には早くも陸奥介鎮守副将軍として地方官に戻り、蝦夷征討の任にあたる。蝦夷征討における大原の具体的な活動内容は伝わらないが、勲三等の叙勲を受けていることから、大きな戦果を挙げた延暦13年(794年)の征夷副将軍坂上田村麻呂の遠征軍に従軍した可能性もある。またこの間、延暦11年(792年)文室真人から三諸朝臣に改姓している[1]

その後、常陸守の任期中に稲216,090束を横領していたことが発覚するが、延暦21年(802年)になって罪を免ぜられている(この時の位階は従四位下[2]。延暦23年(804年播磨守、延暦24年(805年)備前守と引き続き地方官を歴任した。

平城朝初頭の大同元年(806年)11月9日に自邸で卒去。最終官位は散位従四位下[1]

Remove ads

人物

頻繁に地方官を務めたが、解由状(国司の交代引き継ぎ証)の不交付となることはなかった[1]

官歴

六国史』による。

系譜

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads