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新井潔
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新井 潔(あらい きよし、1969年4月11日 - )は、群馬県富岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。
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経歴
富岡市小野中出身。東農大二高では投手から遊撃手へ転向。エース・忰田幸也を擁して2年秋の群馬県大会で優勝[1]。卒業後は本田技研に入社。5番サードに座った[1]。2年目の都市対抗野球では4番指名打者、翌年は補強選手で出場。1990年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから4位指名を受け、入団。社会人では田村勤、西俊児と同僚であった。
1992年は1A・サリナス・スパーズに野球留学した。
遊撃手には池山隆寛がいて、主として二塁、三塁を守ったが、内外野ともに守れるユーティリティープレーヤーであった。両打ちという点でもタイプの似た笘篠賢治らの陰に隠れた。
1994年の中日戦では二塁手として先発出場するも、延長12回裏に1死1,2塁で併殺を狙った一塁送球が逸れてサヨナラエラーを喫する(二塁走者大豊泰昭の本塁進塁が新井の失策)と、思わず号泣する姿が珍プレー好プレーで放映された。
1996年シーズンオフに金銭トレードで横浜ベイスターズへ移籍。
1997年シーズンには自己最多の53試合に出場。試合終盤に駒田徳広の代走、そのまま一塁の守備に就くことも多かった。しかし、1998年シーズンに日本一を果たした翌1999年シーズンは出場試合が激減。
2000年シーズンには一軍出場なしに終わった。同年のシーズンオフに進藤達哉・戸叶尚と共に前田和之・杉本友・小川博文との3対3の交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。
2002年シーズンオフに現役を引退。
2004年に5年ぶりの都市対抗野球出場に貢献し、若獅子賞を獲得した金子洋平を育成するなど手腕を発揮した。
2008年9月末日をもってホンダを退社し、故郷・群馬へ帰郷。群馬ダイヤモンドペガサスのジュニア部門のコーチを務めた。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 25 (1991年 - 1996年)
- 4 (1997年 - 2000年)
- 44 (2001年 - 2002年)
- 71 (2010年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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