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日鉄日新製鋼
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日鉄日新製鋼株式会社(にってつにっしんせいこう、英文表記:Nippon Steel Nisshin Co., Ltd.)は、かつて存在した東京都千代田区丸の内に本社を置く高炉メーカーである。2020年4月1日、日本製鉄に合併され解散。
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概要
1959年(昭和34年)に日本鐵板と日亜製鋼の二社が合併して日新製鋼株式会社が誕生した。そして1962年(昭和37年)、呉製鉄所に第1号高炉を建設し、以後は圧延および連続鋳造設備を備えた銑鋼一貫のメーカーとして活動していた。高炉メーカーとしての規模は日本国内で第4位。表面処理鋼板やステンレス鋼板、ステンレス精密圧延品といった高付加価値な薄板部門に強みを発揮していた。商品ブランド名は月星印。
合併後も岩井産業や新日本製鐵(現・日本製鉄)とは緊密な関係を保ち、特に後者の新日本製鐵は筆頭株主であった。また、前者との関係から最勝会グループにも属していた[1]。三和グループの三水会(後身は水曜会)及びみどり会のメンバーでありながら[2][3][4]、旧長銀や旧興銀とも緊密な関係にあった。
大平洋金属の株式を1,495万株 (7.6%) 保有する大株主であり、その他日本国内に約30社のグループ会社を有していた。
2012年10月1日、日本金属工業と共同株式移転方式で経営統合し、当社は日新製鋼ホールディングスの完全子会社となった。その後、2014年4月1日、日新製鋼ホールディングスが日新製鋼及び日本金属工業を吸収合併、日新製鋼株式会社に社名変更した。
2017年3月13日、新日鐵住金は株式公開買付けにより、当社を子会社化[5][6]。2019年1月1日、株式交換により、新日鐵住金の完全子会社となった[7][8]。
2019年4月1日、親会社の新日鐵住金が日本製鉄へ商号変更したことに伴い、日鉄日新製鋼株式会社に商号変更[9]。その後、2020年4月1日、親会社の日本製鉄に合併[10]。
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主要事業所
沿革
日本鐵板
日亜製鋼
日新製鋼
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 日本鐵板が日亞製鋼を合併し、日新製鋼株式会社に社名変更、大学 (書物)の「日々新、又日新」から。
- 1962年(昭和37年)6月 - 呉製鉄所に高炉が完成、操業開始。
- 1963年(昭和38年)2月 - 市川工場(後の市川製造所)が操業開始。
- 1966年(昭和41年)10月 - 神戸製鋼所堺工場を譲受け、堺工場(現・堺製造所)が発足。
- 1970年(昭和45年)10月 - 初の海外事業として、スペインのステンレス鋼板メーカー、アセリノックス社の設立に参画。
- 1990年(平成2年) - アメリカに North American Stainless を設立。
- 1996年(平成8年)10月 - 中国の江蘇省太倉市に合弁会社を設立。
- 1999年(平成11年)10月 - 東予製造所が操業開始。
- 2002年(平成14年)- 南アフリカの Columbus社を買収。
- 2012年(平成24年)- 日本金属工業との共同株式移転により日新製鋼ホールディングスを設立。
- 2014年(平成26年)- 日新製鋼ホールディングスが日新製鋼と日本金属工業を吸収合併し(新)日新製鋼に社名変更。尼崎製造所を分離し、旧・日本金属工業の子会社である日金工鋼管と統合、日新製鋼ステンレス鋼管とする。
- 2016年(平成28年)- 市川製造所などを日新総合建材に会社分割し、同社は日新製鋼建材株式会社に商号変更。
- 2017年(平成29年)- 新日鐵住金が株式公開買付けにより、議決権所有割合ベースで51.03%の株式を取得し親会社となる。
日鉄日新製鋼
関連企業
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人材育成
参考文献
- 『メイド・イン・ジャパン-日本製造業変革への指針-』(ダイヤモンド社、1994年)
- 『産業技術短期大学大学案内2011』(産業技術短期大学、2010年)
- 『産業技術短期大学五十年のあゆみ』(学校法人鉄鋼学園 産業技術短期大学、2012.4.25)
ほか
脚注・出典
関連項目
外部リンク
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