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智恵子抄

高村光太郎が1941年に出版した詩集 ウィキペディアから

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智恵子抄』(ちえこしょう)は、詩人の高村光太郎が1941年に龍星閣から出版した詩集である。

光太郎が妻・智恵子を知ってから、智恵子が死ぬまでの30年間にわたる作品を集めた。「あどけない話」「樹下の二人」「レモン哀歌」などを収録。

作品概要

1914年に処女詩集『道程』が出版されて以降、『現代日本詩集』(改造社、1929年)などの詩華集に未刊詩が多数収録されることはあったものの、高村単独による詩集の計画は長らく実現しなかった。1940年に出版された改訂版『道程』を除くと、『智恵子抄』は2冊目の詩集にあたる。

智恵子とは妻の高村智恵子のことであり、彼女と結婚する以前(1912年)から彼女の死後(1941年)の30年間にわたって書かれた、彼女に関する29篇、短歌6首、3篇の散文が収録されている。戦後、さまざまな出版社から同名の詩集が出ており、それらには最初の版の刊行後に書かれた作品や、その版に未収録のものも収められている。

以下の2冊は、光太郎が直接関わったものである。

  • 『智恵子抄』(白玉書房、1947年) - 龍星閣が休業していたため、版元を替えて出版。戦後に書かれた「松庵寺」「報告」の2篇を追加。
  • 『智恵子抄その後』(龍星閣、1950年) - 出版業を再開した龍星閣代表は、白玉書房版『智恵子抄』出版後に書かれた「智恵子抄その後」という6篇の詩群に注目し、これを軸に出版を決意する。智恵子に関わりの薄い文章も含めて、1冊の詩文集を構成した。出版に乗り気でなかった詩人も、本書籍のあとがきによれば、版元の「熱意に動かされ」るかたちで認めることにしたという。
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裁判

光太郎の没後の1965年、龍星閣の代表がこの詩集を編集著作したと主張したことを受け、その翌年、光太郎の相続人が出版社とその代表を相手取り、編集著作権は詩人の側にあるものとして、東京地方裁判所に提訴した。長期裁判となったが、最終的には1993年の最高裁判決[1]により、原告が勝訴した。

収録作品

詩篇および散文の制作年月日は、龍星閣版の目次に書かれている。うた六首の初出については『高村光太郎全集』(筑摩書房)の第11巻「解題」を参照。

「荒涼たる帰宅」を除き、制作年代順に配列されている。

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短歌

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散文

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関連作品

この詩集は、さまざまな者によって創作の素材となり、映画化された他に、テレビドラマ、ラジオドラマ、小説、戯曲、能、オペラ、歌謡などが生まれた。後述の映画、ドラマを除く各分野の作品を紹介する(歌については外部リンク先も参照)。

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映画「智恵子抄」(1957年版)

概要 智恵子抄, 監督 ...
キャスト
スタッフ

映画「智恵子抄」(1967年版)

概要 智恵子抄, 監督 ...

原作として高村光太郎の他に佐藤春夫の『小説智恵子抄』も使用されている。中村登と広瀬襄が共同でシナリオ化し、中村登が監督した[4]第40回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされている[5]

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テレビドラマ「智恵子抄」(1956年版)

KRテレビ(現TBS)にて1956年11月11日に放送。

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スタッフ
  • 脚本:田中澄代

テレビドラマ「智恵子抄」(1970年版)

TBS系列の花王愛の劇場で、1970年11月2日 - 12月31日に放送。

キャスト

出演者参照:『福島民報』1970年11月2日付朝刊13面。福島テレビ新番組紹介広告から

スタッフ

テレビドラマ「智恵子抄」(1994年版)

テレビ東京系列で、1994年2月14日に放送。

キャスト
スタッフ

ラジオドラマ「智恵子抄」

文化放送で、1962年に放送。

声の出演

脚注

外部リンク

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