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木下町 (岡崎市)
愛知県岡崎市の地名 ウィキペディアから
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木下町(きくだしちょう)は愛知県岡崎市額田地区の町名。難読地名として知られる。丁番を持たない単独町名であり、19の小字が設置されている。
地理
岡崎市東部に位置する。町内のほぼ全域は基本的に森林であり住宅地、水田は河川沿岸及び道路沿いに僅かに見られるのみであり、限界集落になっている。
河川
字
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世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
2010年(平成22年) | 76人 | [6] | |
2015年(平成27年) | 72人 | [7] |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
歴史
額田郡木下村を前身とする。
地名の由来
乙川を通じて都へ運ぶ木を流したことから、木を下す村と名付けられたものであるという[9]。『参河志』および『寛永郷帳』では「木野下」の表記を採る[9]。また、「きくたし」や「きぐたし」の読みも見られるという[9]。
沿革
- 江戸時代初期 - 岡崎藩領の村として所在[9]。
- 正保2年 - 幕府および岡崎藩の相給となる[9]。
- 天和元年 - 志摩国鳥羽藩と岡崎藩の相給となる[9]。
- 享保10年 - 岡崎藩の単独支配となる[9]。
- 宝暦12年 - 幕府領となる[9]。
- 明和7年 - 幕府と岡崎藩の相給となる[9]。
- 1874年(明治7年) - 村内東向寺において、桜形学校分教場が開設されるが、1876年(明治9年)に千万町村の興福寺に転出する[9]。
- 1889年(明治22年) - 巴山村に編入され、同村大字木下となる[9]。
- 1890年(明治23年) - 栄枝村への改称に伴い、同村大字木下となる[9]。
- 1906年(明治39年) - 宮崎村編入に伴い、同村大字木下となる[9]。
- 1956年(昭和31年) - 額田町編入に伴い、同町大字木下となる[9]。
- 2006年(平成18年)1月1日 - 岡崎市へ編入し、同市木下町となる[1]。
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交通
- 道路
- 乗合タクシー
- 岡崎市乗合タクシー
- 宮崎地区線(のってこバス)
旧跡
- 東向寺
- 神明宮
その他
日本郵便
脚注
参考資料
関連項目
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