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木曽郡
長野県の郡 ウィキペディアから
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人口22,853人、面積1,546.17km²、人口密度14.8人/km²。(2025年7月1日、推計人口)
以下の3町3村を含む。
郡域
歴史
系図史料には建御名方神の後裔弟武彦命が木蘇国造に任じられたと伝わるが、木蘇国造やその支配地域である木蘇国の実態は不明。 奈川村、楢川村を除いた大部分は元来、美濃国恵那郡の一部であったが、鎌倉時代もしくは室町時代に美濃国から分離され、信濃国筑摩郡に編入された。それ以前は鳥居峠及び境峠が信濃国と美濃国の境であった。江戸時代は奈川、贄川、奈良井の各村とともに尾張藩の領地に入り、贄川関所が松本藩と尾張藩の境であった。
郡発足までの沿革
郡発足以降の沿革
- 明治12年(1879年)1月4日 - 郡区町村編制法の長野県での施行により、筑摩郡のうち24村の区域に行政区画としての西筑摩郡が発足。郡役所を福島村に設置。
- 明治14年(1881年)
- 明治16年(1883年)11月10日 - 木祖村が分割され藪原村・菅村・小木曽村となる。(25村)

- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。現在の町村の所属郡は木曽郡。(16村)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治26年(1893年)5月27日 - 福島村が町制施行して福島町となる。(1町15村)
- 大正11年(1922年)9月1日 - 駒ヶ根村が町制施行・改称して上松町となる。(2町14村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和23年(1948年)6月1日 - 奈川村の所属郡が南安曇郡に変更。(2町13村)
- 昭和33年(1958年)
- 昭和36年(1961年)1月1日 - 読書村・吾妻村・田立村が合併して南木曽町が発足。(3町9村)
- 昭和42年(1967年)4月3日 - 福島町・新開村が合併して木曽福島町が発足。(3町8村)
- 昭和43年(1968年)5月1日 - 西筑摩郡が改称して、木曽郡となる。この変更は、前年の暮れに西筑摩町村会が、観光開発や産業振興には木曽のほうが名前が知られているので有利、県や国の出先機関も地方事務所を除いて木曽の名を使っている、地域には木曽を使った固有名詞が多い、住民のアンケートでも大多数が改称を望んでいる、などとして県に改称を申請していたものだった。郡名変更案は、2月の定例県会で可決された[2]。
- 平成17年(2005年)
変遷表
自治体の変遷
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行政
- 歴代郡長
脚注
参考文献
関連文献
関連項目
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