トップQs
タイムライン
チャット
視点
李賢承
ウィキペディアから
Remove ads
李 賢承 (イ・ヒョンスン、韓国語:이현승、1983年10月11日 - )は、大韓民国・仁川広域市出身の元プロ野球選手(投手)。
Remove ads
経歴
現代時代
2002年に現代ユニコーンズから指名を受けるも拒否し、大学へ進学する。そして大学卒業後の2006年に改めて入団した。
この年は中継ぎとして起用され、成績は平均自責点3点台、2勝、19ホールドを記録してホールド部門3位に上がった。
ウリ・ソウル時代
2007年に現代ユニコーンズが解散すると、選手たちは新球団のウリ・ヒーローズに受け入れられた。
2008年以降は先発に転向し、120イニングで平均自責点4点台、6勝8敗となった。
2009年は自身初の2桁勝利を達成したが、シーズン終了後の12月に琴民鐡と金銭10億ウォンとの交換トレードで斗山ベアーズに移籍した[1]。
斗山時代
斗山移籍後は再び中継ぎとして起用された。
2012年から2013年の間に兵役のため尚武でプレーした。なお2013年には2軍1試合の出場にとどまり、その年の4月に肘の手術を受けてリハビリをした[2]。
除隊された2014年には65試合出場で平均自責点5点台、3勝3敗、15ホールドを記録した。
2015年は前年度で抑えを務めていた李庸燦からクローザーの座を奪い、18セーブを挙げた。オフの11月に開催された第1回WBSCプレミア12の韓国代表に選出された。同大会で韓国は大会初の優勝を果たした。
2016年には25セーブを挙げた。オフにFA権を行使して3年の大型契約で残留した[3]。
2017年はシーズン開幕前の3月に開催された第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の韓国代表に選出された。しかしシーズンでは成績を落とし、57試合の出場で平均自責点4点台、3勝2敗、5セーブ、9ホールドとなった。
2018年は抑えの役割を咸徳柱と配置転換され、セーブを一つも挙げられなかった。
2019年は2ホールドを挙げたが高齢のため出場機会が大幅に減少。入団以降最小となる9試合の登板かつ未勝利など、自己ワーストとなる記録に終わった[4]。
同年オフにはかつてウリ時代に同僚だった高津臣吾と対談。その時には「僕もあと2〜3年で引退だと思います。」「抑えはチームが2時間以上勝っていても、(自分が投げた)10分間で負け試合にしてしまうこともある。そんなプレッシャーの中で投げるのは本当にきつかった。」と語っている[5]。
2020年は復活し、2年ぶりの白星を挙げた。シーズンでは62試合に登板。
2022年は防御率6点台と不振が続き、7月末に登録を抹消されるとそれ以降は二軍の試合にも出場しなかった。そして同年シーズン終了後に自由契約選手となり、現役を引退した[6]。
Remove ads
詳細情報
年度別投手成績
背番号
- 29 (2006年)
- 48 (2007年 - 2009年、2014年 - 2017年、2019年 - 2022年)
- 58 (2010年 - 2011年)
- 3 (2018年)
代表歴
Remove ads
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads